2011年01月27日

「恋情」 山崎×土方

山崎×土方連作第3弾です。
黎明録土方ルート6章、新見さんの失踪に関わる事件についての話です。
上記ルートのネタバレを含みますのでご注意ください。



ご了承頂ける方のみ、本文へお進みください。








 文久三年九月七日。
 俺はこの日も、監察方の仲間達と、京の町を駆け回っていた。
「いたか?」
「いや、そっちは?」
「こっちも何も。手掛かり一つありゃしない」
「そうか……、仕方ない。捜索の範囲を広げよう。井吹はこのまま島原周辺を頼めるか?俺は祇園に行ってみる」
「わかった!」
 島原近くで合流した井吹と、簡潔な報告を行った後、俺達はすぐさま次の行動を開始する。
 事件が露見してから、一体幾度こんなことを繰り返して来ただろう。
 だが……、俺や井吹、島田君達監察方が死力を尽くして探そうとも、忽然と姿を消した新見さんと雪村綱道という蘭方医の行方は、ようとして知れなかった。
(くそっ……!!)
 焦燥と憤りが胸の奥から湧き上がり、俺は堪らず低く毒づく。
 新見さんが姿を消して既に数日。
 なのに未だ有力な情報一つ得られないことが、口惜しくて堪らない。
 しかも、相手が確実に京に潜伏しているとわかりながら、だ。
「っ……!!」
 普段は特に意識しないが、こんな時、この京が人一人を探すにはあまりにも広大過ぎることを、改めて思い知らされる。
 この数日、俺の元に届いた報せは、羅刹によると思われる辻斬り事件の新たな被害者が見つかったという話ばかりだった。
 その都度、新たな事件現場の周辺から、捜索の範囲を広げているが、今のところ、彼等の後手を踏んでいるとしか言えないのが現実だ。
 ……。
 ここまで手を尽くしても手掛かりさえ掴めない以上、やはり新見さん達は、何者かに匿われている可能性が高いのだろう。
 なら、闇雲に市中を探し回っていても、埒が明かないのではないか。
 捜索しながら、幾度も過ぎったその考えが、また再び俺の脳裏を掠めていく。
 が、俺はそれを強引に振り払い、また勢いよく駆け出した。
 ……そうだ。余計なことを考えている場合ではない。
 例え、尻尾を掴むことが困難だろうと、ここで立ち止まる訳にはいかないんだ。
 新見さんや雪村綱道本人を見つけることは難しいのだとしても、羅刹や彼らに接触を図る者を抑えることは可能な筈だ。
 ならば、諦めずに捜索を続けていれば、機会はある。
(諦めてたまるか!こんなことで、あの人達に新選組の……土方さんの邪魔はさせない!)
『ああ、頼んだぜ』
 瞼の裏に、真っ直ぐ俺達を見据える副長の顔がちらついた。
 懸命に隠そうとしておられるが、明らかに疲労と焦燥が色濃く滲んだ端正な顔。
(副長……)
 羅刹化した佐伯の処分。
 大坂相撲の御礼興行の夜の商家焼き打ち。
 そして今回の新見さんの突然の失踪。
 またあの方が、ご自身の預かり知らぬ芹沢一派の愚行のせいで苦しめられているのかと思うと、俺は悔しさと歯痒さに、腸が煮え繰り返る思いだった。
(くそっ……!!)
 ……何故、土方さんが芹沢局長等の尻拭いをせねばならない?
 あの方達は、今まで散々悪事を働いて来た挙げ句、自身の罪の責任も負わず、土方さんや近藤さんにその後始末をさせて来た。それなのに、今度は新見さん自ら新選組の機密を奪って隊を飛び出し、芹沢さんはその事態にさえ素知らぬ顔だ。
 ……許し難い。
 こんなことが、許されていい筈がない!
「っ!」
 瞬間、胸の奥に激情の嵐が吹き荒れて、俺はまたきつく唇を引き結ぶ。
 平隊士の自分風情が局長を評するなどおこがましいと今までは思って来たのだが……。
 今回ばかりはそんな俺も「芹沢さんさえいなければ」と、思わずにはいられなかった。
 新選組が会津潘お預かりになったいきさつや、蛤御門での件を初め、芹沢局長の行いの総てが悪いとは、勿論俺も思わない。
 だが……。
 功績を差し引いて余りある程、あの方には問題行動が多過ぎる。
 お梅さんという愛人の件。
 井吹に対する理不尽なまでの暴力の数々。
 そして……。
 先日の商家焼き打ちが、相撲興行を成功させた土方さんへの当てつけだと考えているのは、きっと俺だけではないだろう。
 京の民達から見れば、土方さんも芹沢さんも同じ新選組であることに変わりはないのだ。
 事実、あの相撲興行の成功は、羅刹化した隊士・佐々木の捕縛と、芹沢さんの悪行の噂に、瞬く間に掻き消されてしまった。
 悔しいが、俺はそのことをよく知っている。
(何故、土方さんのような方が……)
 一旦表に噴き出せば、その想いは容易には止められない。
 近藤さんを相応の地位まで担ぎ上げたい。
 その一心で、羅刹や変若水の存在さえも容認し、出来る限りの手を尽くして進もうとするあの方が、ようやく掴んだ成功さえ、芹沢さんは容易に叩き潰していく。
 いや、それは何も芹沢局長だけではないのだろう。
 副長の足元を掬う芹沢派の面々は勿論のこと、副長を苛む変若水や羅刹、そして無力な自分自身。
 俺は今、その総てが、腹立たしくて仕方がなかった。
「っ……!」
『ああ、頼んだぜ』
 出掛けに見た副長の顔を、改めて思い出す。
 新見さんの行方がわからないことに、歯痒さを感じていらっしゃる筈なのに、副長はそれでも俺達を責めず、逆に信じて背中を押してくださった。
 あの信頼に報いる為にも、一刻も早く、新見さん達の行方を掴まなければ。
 走り通しで悲鳴を上げる己の足に鞭打って、俺はさらに速度を上げる。
 と、刹那。
 周囲に微かに高い笛の音が響いた。
「っ……?!」
 鳥の声とよく似たそれは、俺達監察方が極秘の合図にしているものだ。
 位置は……そう遠くない。
(よしっ!)
 俺はすぐさま方向を変え、合図の方へと走り出す。
 そうして辿り着いた祇園新地で、俺はようやく念願の吉報を手に入れた。

「ご報告します。たった今、市中の監察方より連絡が入りました。祇園新地において新見さんと覚しき人物を発見。場所は料亭山緒。新見さんは田中伊織という偽名を使い、今もなお潜伏中とのことです」
「よしっ!」
 駆け込んだ屯所でこの朗報を伝えると、幹部の皆さんは一様に色めき立った。
 土方さんが、今回の捕縛に選んだのは、沖田さん、斎藤さん、原田さんの三人だ。
 相手が多数の羅刹を保有している以上、生半可な相手では歯が立たないし、大人数では動きが取れず、かえってこちらが不利になる。
 まさに最適な人選と言えるだろう。
「いいな、てめぇら。これを逃せば次はねえ。全員気合い入れて行けよ」
 沖田さん達をそんなふうに叱咤した後、副長はふと、切れ長の目を俺と傍らの井吹に向けた。
「山崎、井吹」
「はい」
「お前達には案内役を務めて貰う。火急の事態だ。店を探してまごついたりしちゃいられねぇからな」
 そう言って、土方さんは小さく口角を持ち上げる。
「はい!お任せください」
 その言葉に、俺は高揚を噛み締めながら、頷いた。
 こうして俺と井吹の二人は、副長達を先導し、夜の京へと飛び出した。
「何だ何だ……?」
「嫌だねぇ。今度は何を仕出かそうっていんだか」
 隊服に身を包んだ新選組が、鬼気迫る形相で何処かへ飛んで行こうものなら、嫌でも目を引くというものだ。
 視界の端には、不安そうに、不愉快そうにこちらを見つめる人々の視線を感じたが、今はそれに感けている暇はない。
 幸い、普段の諜報活動で道は総て熟知している。
 俺は、井吹と肩を並べ、最短距離で目指す料亭・山緒に辿り着いた。
「山崎さん」
 俺達が到着すると、待ち兼ねていたように、先程情報をくれた男が声を掛けて来る。
「ご苦労だったな。動きはないか?」
 俺が端的に尋ねると、彼は一つ顎を引いた。
「はい、特に変化はありません。問題の男が店を出た様子もなく、あれ以降、人の出入りも皆無です」
「よし、踏み込むなら、今しかねえな」
 彼の報告に、いち早く頷いたのは、すぐ後ろにいた副長だった。
 土方さんは眼光鋭く、後方の原田さん達を振り返る。
「行くぞ、てめえら。羅刹どもが血を求めて動き出す前に片を付ける」
「御意」
「了解」
 副長の言葉に斎藤さんと原田さんは、答えて小さく顎を引く。
 それに対し、沖田さんは薄い笑みを浮かべたままだ。
 だが、土方さんはそれを気にした様子もなく、今度は俺達へ目を向けた。
「山崎、井吹」
「はい!」
「案内ご苦労。お前らはここで見張りをしててくれ。万一、俺らが羅刹を逃がしちまった時には、お前らがここで食い止めて貰うことになるからな。……いいか、くれぐれも油断すんなよ」
「承知しました」
 次なる指示を言い渡され、俺は即座に顎を低く。
(………)
 ……わかってはいたことだ。
 こうなるだろうと、とうに予測は出来ていた。
 それなのに……中へ入るなと言われたことに、俺はやはり少し落胆を自覚した。
 副長は頷く俺達を一瞥した後、踵を返し、颯爽と料亭の中へ踏み込んで行く。
「どら、いっちょ派手に暴れてやるか」
「左之、ここはかなり人目に付く。あまり騒ぎを大きくするのは、得策ではないと思うが」
「まあ、そいつもそうか」
 そんなことを言いながら、原田さんと斎藤さんの後を追う。
 と、直後。
 しんがりを歩いていた沖田さんが、不意に俺達の方を見遣り、不敵な笑みを口許に湛えた。
「…?」
「君達二人がここにいても、役には立たないと思うけどなあ。だって君達に、羅刹の相手はとても務まらないでしょ?」
―っ……!―
「……まあ、いいや。二人とも、弱いんだから、間違っても入って来たりしないようにね」
 そうして彼は、いつもの挑発めいた口調で、そんな言葉を付け加える。
「うるさいな!羅刹の巣窟の中になんて、誰が入りたいもんかよ。そんなこと言って、お前が足元掬われたら、盛大に笑ってやるからな」
 井吹はすぐに眉を吊り上げ、沖田さんに言い返す。
 が、沖田さんはそれを聞いて、ますます口角を持ち上げた。
「何言ってるの。僕がそんなへまをする訳ないでしょ」
「ああ、そうかよ。……いいから、さっさと中に入れよ。土方さん達、行っちまったぜ」
「しょうがないなあ……。ちゃんと僕の分も残しておいてくれるといいんだけど」
 井吹の言葉に、沖田さんはくすくすと笑いながらまた歩き出す。
 ……。
 俺は、そんな二人の話には加わらず、副長達が踏み込んだ店の戸口を、ただじっと見つめていた。
 直後、戸口へと進む沖田さんと視線がぶつかる。
「っ……!」
 彼は俺を見据えると、意味あり気に微笑んだが……俺はそれに、何も答えられなかった。

 突入から、どれだけの時が流れただろう。
 突如、周囲に怒号とも咆哮ともつかないような叫び声が響き渡る。
「―っ!」
「い、今の…」
 この世のものとも思えぬ声に、俺達は思わず顔を見合わせる。
 ……間違いない。
 それが戦いの幕開けだった。
 固唾を飲んで入り口を見つめる俺達の元にも、副長や原田さん達の鬼気迫る声が、羅刹のものと思しき叫びが、刀同士のぶつかる音が次々に聞こえて来る。
(くそっ……!)
 俺は、両手で自身の刀をぐっと握り締め、きつく奥歯を噛み締めていた。
 ……。
『お前らはここで見張りをしててくれ』
『……まあ、いいや。二人とも、弱いんだから、間違っても入って来たりしないようにね』
 先程聞いた、土方さんと沖田さんの声が幾度も頭を過ぎる。
 ……わかってはいたことだ。
 俺は単なる監察方。
 俺には、あの方々のような剣術や槍術の腕はない。
 そんな自分が、今中へ入っても、恐らくは助けどころか足手まといにしかならないだろう。
 そんなことは、厭と言うほど理解している。
 しかし……。
「……っ!」
(何故、俺には前線で副長とともに戦える力がないのだろう)
 そう思えば、胸の奥底から苦いものが込み上げて、俺はまた刀を握る指の先に力を込めた。
「山崎……」
 井吹は傍らで、そんな俺に気遣わしげに見つめている。
「ここまで音が聞こえて来るんだ。きっと中は、すごい状況だと思うぞ。俺達程度の剣の腕で突入したって、援軍どころかかえって足を引っ張ることになるんじゃないか」
 そうして井吹は、また俺に現実を突きつける言葉を口にする。
 ……。
 どうやら、俺はこの男に内心を見透かされる程、動揺を露わにしていたらしい。
(本当に、不甲斐ないな……)
 俺は内心呟くと、井吹を見据え、一つ顎を縦に引いた。
「ああ、俺の役目はあくまで監察方であって、前線で戦うことでは決してない。それは無論理解している。……だが、それでも俺は、命を掛ける戦いの場で、副長の傍らに立ちたいと、そう思わずにはいられないんだ、……多分俺は、これからずっと、こんな想いを抱えていくことになるんだろうな」
 そうして俺は、自嘲の念を噛み締めながら、小さくそんな呟きを漏らす。
「山崎……」
 それ以上掛ける言葉が見つからないのか、井吹はただ俺を呼ぶ。
 俺は、そんな彼に向かい、少し口角を持ち上げた。
 そうして俺達は、また戸口へと目を向ける。
 激しい剣戦の音は、まだ鳴り止まない。
 俺と井吹は、固唾を飲んで、ただその音を聞いていた。
(副長……)
 ……。
 先程、颯爽と料亭の中へ消えて行った、副長の姿が脳裏に浮かぶ。
 強く、気高く、誇り高いあの背中は、俺にとって憧れ続けた武士そのもののようだった。
 だから、だろうか。
俺は今、あまりにも詮なきことを、考えている。
戦いの場で、あの方の傍に在りたい。それを許されるだけの力が欲しい、と……。
 「……」
『浪士組に籍を置き、自らに与えられた任務を遂行する以上、その役目がいかなるものであろうとも、俺は武士です。少なくとも、自分はそう思っています』
 前に副長に告げたあの言葉に嘘はない。
 他人を疑うことを生業とするこの仕事を損な役回りだと評する者も多々いるが、少なくとも俺は、土方さんから与えられたこの役目に、誇りとやり甲斐を持っている。
 だが……、それでも今俺は、戦いに関してあまりに無力な己自身に、悔しさを覚えずにはいられなかった。
『羅刹の巣窟になんて、誰が入りたいもんか!』
 さっき井吹は沖田さんにそう言い返していた。
 剣の腕にさほど覚えがない身には、それが当然の反応だろう。
 俺とて、それは同じことだ。
 俺は、斎藤さんや永倉さん達のように、剣の道を極めることを志した身ではない。
 ましてや、沖田さんのように、斬り合いを楽しむ趣味もない。
 新選組に入った以上、隊務の為なら命を賭し、自らの手で人を殺める覚悟は既に固めたが、無用な戦いは出来れば避けたいというのが本心だ。
 では何故、俺は今、こんなにも焦燥に駆られているのだろう。
 どうして俺は、今すぐにでも戦いの渦中へ飛び込みたい衝動を、懸命に堪えているのだろう。
(……)
 瞼の奥には、土方さんの背中が残像のように浮かんでは消えていく。
 ……そう。
 恐らくは、それが答えなのだろう。
 武士として、戦いの場で手柄を立てたい。己の剣を認められたい。
 そんなことは二の次だ。
 俺は……俺はただ、あの方の傍にいたかった。
 本物の武士として真っ直ぐに突き進むあの方の横に、どんな時も並び立てる存在でありたかった。
 だから、副長が命を懸けて戦っている時に、安全な場所でのうのうとしている自分自身を、俺は許し難かったんだ。
(土方さん……)
 あの方々が負けることなど有り得ない。
 それは、信頼と言うよりむしろ確信だ。
 だが、相手は人知を越えた身体能力を持つ羅刹。副長達とて、無傷で済む保障は何処にもない。
 今この瞬間にも、土方さんが怪我を負っているのでは……。
 そう思うと、俺はやはり、居ても立ってもいられなかった。
(いくら情報を収集し、敵の所在を突き止めたとて、肝心の戦場で役に立てない俺の存在に、一体どれ程の価値がある?)
(せめて同じ場所にいられれば、この身を盾にすることくらいは出来るだろうに)
 焦燥が募るあまり、ついには俺は、そんなことまで考える。
 そうして……。
 俺はそこで、はたと自分の脳裏に浮かぶ相手が、唯一人しかいないことに気がついた。
(俺は、何を…?)
 ……土方さん、斎藤さん、原田さん、沖田さん。
あの方々は、それぞれに新選組にとって、なくてはならない存在だ。
だから俺は、斎藤さん達を案じていない訳では決してない。
 ない、筈だ……。
 では何故、俺はさっきから、あの深い紫色の瞳ばかり思い出しているのだろう。
「っ……!」
 刹那、その答えが朧げに脳裏に浮かび、俺は唇を引き結ぶ。
(……馬鹿げたことを)
 そう考えたのは、ほんの一瞬のことだった。
 どんな言い訳を試みようとも、自分の心は自分が一番よくわかる。
 思考を巡らせれば巡らせる程、解答は今浮かんだそれ以外に考えられないような気がした。
 ……そう。
 俺は誰よりも、あの方を深く尊敬している。
 入隊以来、ずっとあの方を、武士として生きる場所と誇りある役目を下さった恩人だと思って来たのもまた事実だ。
 だが……。
今自分の胸に在る感情は、恐らくそれだけで片付けられるものではない。
『傍に在りたい』
『力になりたい』
『あの方に、笑顔でいて頂きたい』
 まるでこれは……。
「山崎、お前何百面相してるんだよ?」
「いや、何でもない」
(今日の俺は、本当にどうかしているな)
 動揺が顔に出たことを、また井吹に指摘されて、俺は慌てて首を振る。
 と、直後。
 引っ切りなしに響き続けた剣戦の音が、不意に途切れた。
「ッ…!」
 ……。
 今までの激しい音が嘘のように、周囲はあっという間に重苦しい静寂に包まれる。
 息を殺して見守ろうとも、中からは話し声はおろか、物音一つ聞こえて来ない。
(副長……!)
 その静けさに耐え兼ねて、俺と井吹は、思わず顔を見合わせた。
「……終わった、のか?」
「わからない」
「でも、音が止んだぜ。一体、何がどうなったんだ?」
「ここから仔細がわかる訳がないだろう。だが、心配は要らない。あの方々が不覚を取るなど、有り得ない筈だ!」
 井吹の問いに焦燥が募り、俺は思わず厳しい口調で言い返す。
 その時だ。
 暖簾を潜り、見慣れた長身が俺達の元へ現れた。
「っ?!」
 全身に血を浴びながら、普段のように不敵で不遜な弧を描いた緑の瞳。
 沖田さんは、俺達を見ると、さらに口角を持ち上げる。
「山崎君、井吹君。土方さんが君達を呼んでるみたいだよ。中へ入ったら」
 その言葉に、俺達は戦いが終わったことをはっきりと理解した。
 案の定、勝敗を問う井吹に対し、沖田さんは挑発的にまた笑う。
「一体誰に聞いてるの。僕が負ける訳ないじゃない」
 いつもは眉を顰めたくなる物言いだが、今度ばかりはその言葉に、俺は深い安堵を覚えた。
「行こう」
「ああ」
 俺と井吹は、互いを見遣り、一つ頷く。
 そうして俺達は、肩を並べるようにして料亭の中へと踏み込んだ。
 入るなり、真っ先に感じたのは、立ち込めるような異臭だった。
 生々しい血の臭いと、そこに混じる、饐えた様な腐敗臭。
 惨状を頭に描き、覚悟を決めて突入した筈なのに、胸の奥から耐え難い吐き気が自ずと込み上げる。
 だが、今はそれに怯んでいる場合ではない。
「山崎?」
「…大丈夫だ。それより早く、副長の元へ向かわなければ」
 気遣うような井吹の呼び掛けに端的に答えると、俺は彼の先に立ってまた歩き出す。
 奥へ進めば進む程、不快な空気はその濃度を増していく。
 そして……。
 辿り着いた奥の間で、俺達はこの世の地獄とも言える光景を目撃した。
「っ……?!」
 咄嗟に後ずさろうとする身を、意志の力で懸命に律する。
 発し掛けた驚愕の声を、唇を噛み締め抑え込む。
 それが出来た自分自身に、俺は内心安堵した。
『二度目はない』
 もしもあの誓いがなかったら、俺は多分みっともなく取り乱すか、この場で嘔吐していただろう。
 それ程に、中の惨状は凄まじかった。
 綺麗に設えられていた筈の室内は、今、夥しい数の死体の山に埋もれている。
 全て羅刹かと思ったが、どうやらそうではないらしい。
 発見された辻斬り事件の被害者は、羅刹の犠牲の一端に過ぎなかったのか……。
 そこには血に餓えた化け物に食い散らかされたと思しき人の骸も、数多く転がっていた。
 人ならぬものに貪られた臓器や肉片が辺りに飛び散り、その海の上に白髪の死体が折り重なって倒れている。
 餓鬼界に足を踏み入れようとも、これ程凄惨な光景はきっとないだろう。
 そんな部屋の只中で、原田さんは忌ま忌ましげに顔を歪め、斎藤さんは厳しい目である一点を見つめている。
 そして……。
 斎藤さんの視線の先、部屋のちょうど中央には、刀を持って立ち尽くす土方さんの姿があった。
 ……どうやら、俺達が到着したことにさえ、気がついていないらしい。
 副長は、抑え切れない憤怒の情に顔を歪め、微動だにしようとしない。
 噛み締められた唇からは、荒く浅い呼吸に混じり、低く呻きが漏れていた。
「くそっ………、くそおっ!!」
(副長……)
「新見さん一人を殺したところで、何の意味もありゃしねえ。そんなことで、ここでゴミみてえに死んで行った奴らが戻る訳じゃねえ。こいつらの無念を晴らすことなんざ、どう足掻こうが絶対出来やしねえんだ……」
 苦渋に満ちたその響きに、俺はただ息を飲むしかない。
 井吹もそれは同様らしく、彼は緋色の目を見開き、ただ副長を凝視している。
「致し方なきことかと。監察方の面々も、新見さんの行方を掴むのに、苦慮していた様子でしたし」
 と、傍らにいた斎藤さんが、気遣わしげに口を開く。
 だが……。
 瞬間、副長はその言葉に、さらに大きく顔を歪めた。
「そういう問題じゃねえんだよ!!」
 ――っ?!――
「……」
「……」
 激情の表れのようなその声に、誰もが刹那、息を飲む。
 土方さんは叫び出したい衝動を堪えるように、剣を持つ指に力を込めると、苦々しく自責の言葉をまた吐露した。
「俺がもっと早く気付いてりゃ、ここにいた連中の大半は死なずに済んだ筈なんだ。俺の判断の遅れが、ここまでの事態を招いちまった。そいつはどうしたって拭えない、この俺の罪なんだよ!!」
 それは、怒りと悔恨と自責に満ちた、慟哭のような言葉だった。
(副長、貴方は……)
 瞬間、胸の奥から、言いようのない切なさとやりきれなさが湧き上がる。
……。
 この方は、この局面に於いてなお、真っ先に御自分を責めるのだ。
 惨状を招いた新見さんでも、この事態の根底にある変若水や羅刹でもなく。それに縋らざるを得ない新選組の立場にでもなく。ましてや首謀者の行方探しにこれ程の時を要した、無能な監察方でもなく。判断を誤った自分自身を……。
 その事実が、俺には押し潰されそうな程に重く、苦しく、切なかった。
「……っ!!」
 ……副長は、あの両肩にどれだけのものを背負っていらっしゃるのだろう。
 この方は、どれだけの荷を、たった一人で抱えようとしておられるのだろう。
 副長の重責と高潔過ぎる魂に触れ、俺の心は激しく軋む。
 叶うなら、今すぐ傍に駆け寄って、彼を苛むこの場所から、あの方を連れ出して差し上げたかった。
 手を取って、これは貴方の罪ではないと、そう言ってしまいたかった。
 無論、俺にそのようなことをする資格などないのだが。
(土方さん……)
 声を掛けることすら出来ず、俺はただ胸の中で大切な人の名前を呼ぶ。
 そうしながら、俺はまた自分自身への無力感に、きつく奥歯を噛み締めていた。
 ……そうだ。
 今ならはっきり理解できる。
 これは……明らかな恋情だ。
 おこがましい、浅ましいとわかりつつ、それでも俺は、自らの手でこの方を守りたいと思うことを止められない。
 胸に宿るこの感情がある限り、俺はこの願いを捨てることはないのだろう。
(いや……守りたいなどと、大それたことは言わない。せめて副長が担う重責を、傍らにいて、ともに背負いたい。この方の負担を、少しでも軽くして差し上げたい。そう思うことは、高慢だろうか……?)
 血に染まった修羅のような横顔を見据え、俺はそうも考える。
 そうして、直後。
(もう二度と、副長にこんな顔をさせたりはしない。その為に……、俺は持てる力の全てを尽くす!)
 固くそう決意して、俺は小さく唇を引き結んだ。





<後書き>
山崎×土方連作第3弾をお届けします。今回は、また山崎視点に戻りまして、新見さん失踪にまつわる話になりました。久々に、かなりシリアスな内容でしたが……。でも、個人的にはこういう重い話は、書くの嫌いじゃないんです。そして、ようやく3話目にして、山崎が自分の感情を自覚するに至りました。自分より剣の腕が立つ土方さんを守りたい。それは単に、盾になるということではなく、彼の心や生き様を守りたい、支えたいという意味です。恋をしたことで、これから山崎は、どんどん男らしくなっていきますよ。多分……。次あたりからは、攻めらしい山崎をお届けできると思います。よければまた、お付き合いください。


posted by 二月 at 10:20 | 山崎×土方連作「夢の蹟」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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