2011年05月29日

「抱擁」 山崎×土方

山崎×土方連作第7弾です。
薄桜鬼本編1章、山南さんの負傷についての話です。
今後は、主に土方ルート寄りに展開していきますが、現状では共通部分のネタバレを含みます。
などと書きながら、このシーンは何処にも描かれてませんので、かなりの部分が捏造です。



ご了承頂ける方のみ、本文へお進みください。











 吐く息が、一段と白い日のことだった。
「ったく、今日はやけに冷え込みやがるな。大坂は京に比べりゃ暖かいって話だったが、そう違うとは思えねえぜ」
 口ではそう言いながら、いつも通り、凛と背筋を伸ばした副長は、苦笑混じりに肩を竦める。
 それを聞いて、傍らにいた山南総長も、一つ小さく頷いた。
「確かにそうですね。日野の冬はこうまで寒くはなかったですから」
 そこまで言うと、彼は少しだけ、眼鏡の奥の目を細くする。
「土方君、防寒具はもう少し充実させておきましょう。いざ警護の任の最中に、寒さで動きが取れなかった……などとあっては、目も当てられませんからね」
「ああ、そうだな」
 総長からの進言に、土方さんは答えて一つ顎を引く。
 俺は、すぐ傍の物陰から、そんなお二人の様子を、ただ静かに眺めていた。

 文久四年一月。
 近く迫った将軍家茂公の上洛に備え、我々は大坂を訪れていた。
 警護を万全にするためには、より詳しくその土地を知っておく必要がある。
 そう判断された副長と総長が、自ら大坂を視察するに辺り、元より土地勘のある俺や所用でしばしばこちらへ来ていた島田君も同行を命じられた、という訳だ。
 大坂城近くに留まりながら、関係各所へ挨拶を済ませ、それと同時に、警護にあたる区域の捜索や警戒も、今から徐々に行っておく。
 京に比べれば、まだ少なくはあるものの、都へ向かう足掛かりである大坂近辺に潜伏する不貞浪士も存在する。
 事実、今回の出張中、我々は頻繁に志士を気取ったならず者の取り締まりを行っていた。
 そしてどうやら、半ば日課と化したそれは、また今日も続いてしまうらしい。
「副長、総長」
 大柄な影が現れたかと思うと、急いた声が、お二人に呼び掛ける。
「ん?」
 副長達に倣って視線を移してみれば、屋敷の影から俺とともに監察方の役目を担う島田君がその姿を現した。
「島田?」
「どうしました?慌てるとは君らしくありませんね。見回り中、何か事件でもあったのですか?」
 駆け寄る彼に、副長達は交互に疑問の声を掛ける。
 すると島田君は、二人の前で居住まいを正し、厳つい顎をはっきり一つ縦に引いた。
「はい。実は……淀屋橋近くの呉服屋で、また浪士達が強請り集りを働いていると、今しがた連絡がありまして」
「……」
 それを聞いて、お二人は露骨に苦虫を噛み潰した。
「おいおいまたかよ。俺達がこっちに来てから、これで一体何件目だ?」
 苦々しく吐き捨てた副長に、山南さんがすぐさま頷く。
「確か六件、ですね。ほぼ毎日、某か似たようなことが起きている。確かに少々数が多過ぎる気はします。……上様上洛の話が、何処からか洩れているのでしょうか?」
 そうして彼は、眼鏡の奥の怜悧な瞳を、さらにふっと細くした。
 ……確かにお二人の言う通り、この時期の不貞浪士の活性化には、俺も危惧を覚えてしまう。
 だが……。
 今回初めて家茂公の上洛警護に声が掛かったとは言えど、俺達新選組はその末端に在るに過ぎない。
 ならばここは、裏側の詮索は後回しにし、今は目の前の事の解決に当たるべきだろう。
 それが、この大坂でも我々の組織が名を上げることに繋がるのだから。
 ……かつての局長・芹沢鴨の悪行により、特に商家を中心に、大坂での新選組の名声は決して芳しいものではない。
 だからこそ、こうした小さな手柄を積み重ねることが、今は何より大切なのだ。
 そんなことを考えながら、俺は一歩前へ踏み出し、副長たちの指示を伺う。
 どうやら、目の前のお二人も、俺と同じようなことを、考えておられたようだ。
 直後、土方さんはうんざりしたように一つ細く嘆息すると、ふと俺の方へ鋭い視線を投げ掛けた。
「仕方ねえな。どら、ちょっくらその志士気取りな連中を、蹴散らしに行って来るか。……山崎!」
「はい」
 呼ばれて俺は、静かに前へ進み出る。
「お前も来い。今回の出張には、殆ど隊士を連れて来ちゃいねえからな。少しでも人手が欲しい」
 告げられた命令に、俺は即座に顎を引く。
「承知しました。では、急ぎましょう。俺が先行し、最短距離で目的地を目指します」
「ああ、頼んだぜ」
「はい!」
 信頼を込めた副長の言葉に、またはっきり頷き返す。
 そうして俺は、そのままさっと踵を返し、門の方へと走り出した。

 言葉通り、真っ先に滞在中の旅籠を飛び出した俺は、皆を先導するかたちで、大坂の町を駆け抜けた。
 目指す淀屋橋界隈までは、ここからさほど距離はない。
 だが、その間にも何人もの町人が、何事かと我々の方を振り返り、声を潜めて何かを噂し合っていた。
 まあその視線も、京の民ほど棘のあるものではなかったが。
 いやむしろ、浅葱色に染められた隊服姿であろうとも、向けられる視線は「何者だろう」と問いたげな好奇のものの方が多い気がする。
(……)
 商家の者には強請りを働く集団と恐れられ、町人達には未だに認知自体が薄い。
 これが、大坂における新選組の評価なのだと思い知れば、やはり苦い思いを感じずにはいられない。
(……いや、全てはこれからだ。近藤局長を軸にした今の体制が始まってから、まだ4ヶ月と経っていない。新選組は、これからもっと大きくなっていけるだろう。だからこそ、家茂公の警護に関わることを許されたこの機会に、しくじることは許されないんだ)
 俺は、自らの余計な思考を断ち切るように胸の内で呟くと、さらに少し歩調を速める。
 そうだ……ならば自分も、今組織の為に為すべきことをするだけだ。
 そんなふうに己を律し、俺は周囲の視線と自分自身の懸念や不安を振り払うように、目的地へと走り続けた。

 島田君の報告には、詳しい場所や店の名前はなかったが、幸いなことに、問題の呉服屋はすぐに見つかった。
 物音を聞き付けでもしたのだろう。
 遠巻きに、ある商店を中心とした人だかりが出来ている。
(あそこか……)
 と、刹那。
 俺の声に応えるように、中から何かが倒れるような派手な音が鳴り響く。
「ッ!」
 どうやら、目的地はあそこで間違いないらしい。
 そう判ずると、俺はそこで足を止めて、後方を振り返った。
 数瞬遅れて、二人の上役と同僚は、俺のいる場所に辿り着く。
 俺に倣い、直前で歩調を緩めた副長達は、俺の前でそのままぴたりと足を止めた。
「あそこか?」
「はい。そのようです」
 端的な問いに頷けば、副長の顎も縦に触れる。
 そうして土方さんは、つかつかとそのまま俺に歩み寄った。
 と、直後。
紫色の鋭い瞳に俺の姿を映し出し、副長はほんの少し口許を綻ばせる。
「案内ご苦労。山崎、お前は俺達の後について来い。そのまま戸口を見張って貰う」
「はい」
 副長の言葉に、俺は答えて顎を引く。
 ……。
 総長も島田君も、元々武士の家系に生まれ、幼少より剣を志して来た身の上だ。
 この場合、一番腕の劣る自分が、見張りの役を担うのは当然だろう。
 だから土方さんの判断に、不満などある筈もない。
「……よし、行くぞ」
 俺の言葉に頷くと、副長は改めて山南さん達を一瞥し、短くそう宣言する。
 そうして鬼の副長は、さっと身を翻すと、そのまま勢いよく呉服屋の中へと飛び込んだ。
「会津藩お預かり新選組だ!てめえら、こんなところで何していやがる?」
 直後。
 凛とした声が辺りに響く。
 それと同時に、土方さんの両脇を固めるように山南総長と島田君が展開し、俺は彼等の後方で、腰の刀に手を掛けた。
 店の中にいたならず者は、総勢7人程だった。
 身なりや立ち振る舞いから見ても、やはり浪人が志士を語った手合いらしい。
 だが、そのような連中でも、どうやら京を守る我々の存在は、ちゃんと認知しているようだ。
「し、新選組……?!」
「畜生、何で大坂に」
 途端、男達は次々と刀を抜いて、我々の方へ向き直った。
 店の奥では、壮年の店主が泡を食った顔をして、こちらの様子を凝視している。
 だが、浪人達の意識は、どうやらもう完全に、彼から逸れているらしい。
 ならばこのまま放って置いても、主人にこれ以上害が及ぶ心配はないだろう。
 勿論、それは我々が勝利する限り、だが。
 しかし恐らく、俺達は誰一人、この場での敗北など疑っていなかった。
「……何で、だと。そりゃ当然、お前らの運が悪いからに決まってんだろ」
 と、刹那。
 口許に不敵なまでの笑みを浮かべて、副長がそう言い放つ。
「今までどんだけ、こんなことをして来たのかは知らねえが、焼きが回ったと思って諦めるんだな。……まあ、生き残る機会くらいは与えてやるさ。死にたくねえなら、俺達に勝ってみることだ」
 そうして俺の敬愛する上役は、言葉と同時に刀を構え、さらに口角を持ち上げた。
 それが、言わば始まりの合図となった。
「くそぅ!!」
「うおおぁぁ―――!!」
 挑発に操られるかのように、浪士達は一斉に目の前の相手に斬り掛かる。
 しかし勿論、副長達がこんな奴らに遅れを取る筈もない。
 こちらは俺を含めて4名。
 だが、そもそも警護が厳しい京を避け、大坂でこんな強請りを働くような者達に、優れた剣の腕前など、到底ある筈がない。
 事実、既に戦意を喪失した浪士の一人が戸口まで慌てて走り寄って来たが、その男の腕も、俺で十分相手が務まるものだった。
 だから人数こそ奴らに劣っているものの、実力差と俺達の優勢は、火を見るより明らかだった。
 しかし……。
 どれだけ戦いが一方的な状況であろうとも、絶対など存在しないのが斬り合いだ。
 二人の浪士が続いて床に臥した直後、前触れもなくそれは起こった。
「っ……何を?!」
 不意に苦々しい山南総長の声が響く。
 ハッとして視線を向ければ……。
 正面から袈裟懸けに斬りつけられ、倒れた筈の男の手が、他の浪士に向き合おうとした総長の袴をしっかりと掴んでいた。
(っ……!!)
 ただでさえ、広いとは言い難い店の中で、身動きを封じられることは、致命傷になりかねない。
 が、山南さんが強引に引き剥がそうと試みても、倒れた男の執念は凄まじく、指は容易に離れない。
「総長!!」
 ……埒があかない。
 そう思い、何とか目の前の相手を退けた俺は、彼を助けに赴こうと走り出す。
 が、直後。
「山南さん?!」
「危ねえ、避けろ!!」
 島田君と副長の切迫した声が耳に届く。
 そうして俺が辿り着くより一瞬早く、横から斬りつけられた山南さんの左腕から、毒々しい鮮血が辺りにぱっと飛び散った。
「く、ぅ……!!」
 眼鏡の奥の怜悧な瞳が苦痛に歪む。
「総長!」
 刀を落とした彼に再び襲い掛かろうとする男に向かい、俺は咄嗟に左側から斬りつけた。
 闇雲に刀を振ったに過ぎなかったが、ひとまず奴を総長から引き離すのには、何とか成功したらしい。
 次の相手を俺と定め、その浪士は改めて刀を構え直す。
 ……。
 正直、目の前の相手がさっき対峙した男のように容易な相手か、俺には咄嗟に計り得ない。
 だが、今はそんなことを考えている場合ではないだろう。
 せめて、副長か島田君が加勢に来てくれるまで、俺が持ちこたえなければ。
「……」
『山崎、お前は肩に力が入り過ぎだって。んなガチガチで刀握っちゃ、かえって上手く振れないぜ』
 稽古をして頂いた時、永倉さんから言われた言葉を思い出し、俺は相手を見据えたまま、一つ細く嘆息する。
 ……敵の力量が計れぬ時は、闇雲に動くべきではない。不用意な動きを見せれば、それはかえって、自分の力を敵に教えることになる。
 それも俺が、新選組隊士として剣術の稽古を受けるなかで、幹部の方から教えられたことだった。
 が、そんな俺に、相手は痺れを切らしたようだ。
 直後、怒号のような声を上げて、浪士は俺に勢いよく飛び掛って来た。
「ぐっ……!!」
 上背のある相手の討ち込みは、想像していた以上に重い。
 手が痺れ、刀を取り落としそうになるところを、俺は唇を噛んで懸命に堪える。
 が、刹那。
「動けねえ相手を狙ってんじゃねえ!てめえの相手はこの俺だ!!」
 斜め後ろから、怒気を孕んだ声が響く。
 そうして俺達が振り向くよりも一瞬早く、鬼気迫る形相をした土方さんが、俺と浪士の間に強引に割って入って来た。
「副長?!」
「山崎、ここは俺が引き受ける。お前は山南さんを連れて外へ出ろ」
「っ……!」
 3人が倒れたとはいえ、敵はまだ半数が武器を構えている。
 無論、副長と島田君の腕を疑う訳ではないが、何があるかわからないという現実をたった今直視したばかりの状況では、俺はやはり、離脱するのに躊躇いを感じてしまう。
 が、副長はそんな俺を横目で見据え、はっきりと一つ頷いた。
「……山南さんを、頼んだぜ」
 ――…副長……――
 斬り合いの場にそぐわない程静かな声。
 しかし真っ直ぐに信頼を込めたその一言は、他のどんな命令よりも、俺の心を奮い立たせた。
「承知しました!」
 そうして俺は、頷くや否や、傍らに蹲る山南さんの元へ駆け寄る。
「総長、このまま離脱します。支えますから、俺に掴まってください」
「……わかりました」
 常に悠然として、皮肉な物言いをする方が、今は素直に俺の言葉に顎を引く。
 俺は傷に障らぬよう、なるべく静かに総長を立ち上がらせると、自分より背の高い彼の身体を支えながら、そのまま店を後にした。
「きゃっ!!」
「ひいぃぃ、人殺し!!」
 表へ出ると、怪我人を目の当たりにした野次馬達が、口々に悲鳴を上げ、雲の子を散らすように逃げていく。
 だが、今はそんなことに、構ってはいられない。
 俺は戸の脇に凭れるように山南さんを座らせると、そのまま深緑色をした、彼の衣に手を掛けた。
「ぐっ、う……!」
 途端、総長はくぐもった声を上げる。
「申し訳ありません。なるべく静かに処置しますので、手当が終わるまで、少しの間堪えてください」
 一端非礼を詫びてから、血に染まった袖を捲り、俺は傷口の状態を確認する。
(……これ、は………)
 白い腕にはっきりと刻まれた刀傷。
 禍々しいそれを目にした瞬間、俺は思わず小さく吐息を飲み込んだ。
 ばっくりと口を開け、鮮血を滴らせたその傷は、俺が想像していたよりも、ずっと大きく深いものだった。
「……」
 多少医術に心得があるとはいえ、やはり俺は医者ではない。
 だから勿論、確証な出来ないが……。
 この深さでは、恐らく腕の筋も無傷では済まないだろう。
 例え傷が癒えたとしても、この腕が今までのような働きをすることは、正直難しいかもしれない。
 ……。
 しかし俺は、なるべく平静を装って、ただ黙々と、そのまま総長の手当を続けることにした。
 そう……。
 思わぬ深手を負わされて、普段は冷静なこの方御自身も、今はかなり動揺されている。
 そんななか、この場で俺がむやみに自分の見立てを口にして彼の心を乱すことは、どう考えても得策ではないだろう。
 それは、当然の判断だ。
「……止血をします。腕の付け根をきつく布で縛りますから、なるべく左腕は動かさないようにしてください」
 だから俺は、端的に自分のやることだけを述べて、処置を進める。
 手持ちの手ぬぐいを縦に裂くと、俺はそれを力を込めて、彼の腕に巻きつけた。
 そして止血が完了すると、懐から別の布を取り出して、真新しいそれで傷口を拭い、急場の毒消し用に持ち歩いていた酒を含んで傷口に吹き掛ける。
「っ…!!」
 刹那、苦痛に山南さんの眉がきつく寄せられる。
「総長?」
 余程痛むのか……。
 苦しげなその顔に、俺は思わず、手を止めて彼を見上げる。
 が、山南さんはそんな俺を一瞥し、小さく左右に首を振った。
「……いえ、平気です。このまま処置を続けてください」
「しかし……」
「構いません。私もこのまま、出血多量で死ぬのは御免ですからね」
「総長」
 ……。
 先程よりは冷静さが戻って来た、ということだろうか。
 その声は細くはあったが、店の中にいた時よりも、しっかりとしたものだった。
 が、その反面、今の総長の言動には、彼特有の皮肉な色が入り混じる。
 と、直後。
 不意に山南さんは視線を擡げ、すぐ傍から俺をじっと見据えて来た。
「……?」
「ふふ……しかし、君は本当に手際がいい。以前、井吹君への手当を見た時も思いましたが。土方君が、君に新選組の医療面を任せたいと言い出すのもわかりますね」
「……恐れ入ります」
 ……この方が、俺をこんなふうに仰るとは。
 何処か含みのある笑みと賛辞に、俺は訝しさを覚えつつも、小さく一つ礼をする。
 すると総長は、そんな俺に不意に少し鋭い目を細くした。
「そこでです、山崎君」
「……はい?」
 不意にまた名を呼ばれ、俺は眼鏡の奥の切れ長の目を振り仰ぐ。
 山南さんは、誤魔化しは許さないと言いたげに、そんな俺を真正面から見返した。
「私の腕は、一体どんな具合なのでしょう?土方君が信頼を置く君の見識を、ぜひここで聞かせては貰えませんか?」
「……それは…」
「実は先程から、動かそうと試みても、左腕にまるで力が入らないのです。まるで自分のものである腕が、私のものではないかのように……。君ならば、その理由がわかるのではないですか?」
「ッ……!」
 刹那。
 自嘲が滲むその言葉に、俺は唇を引き結ぶ。
(そういう、ことか……)
 総長は、俺が敢えて怪我の状態を語ろうとしないことを、すでに見抜いておられたようだ。
 そして恐らく、副長の名を出せば俺が素直に口を開くと、この方はそう考えたのだろう。
 ……そうだ。
 いかに動揺していたとはいえ、聡明な総長が、御自身の状況にいつまでも何も気付かない筈はない。
 いや、事実彼はもう、薄々自分の身に起きたことを察知してしまっている。
 だが。
 だと、しても……。
「申し訳ありません。俺は医師ではありませんので、詳しいことは分かり兼ねます」
 それでも俺は、淡々と彼に向かい、そう告げるしか出来なかった。
「っ……山崎君!」
 途端、御自身の意に沿わぬ回答に、山南さんは咎めるように俺を呼ぶ。
 だが、俺はそれでも敢えて、自分の見立てを口にしようとはしなかった。
「何とおっしゃられようと、俺はこれ以外に、答える言葉を持ちません」
「……」
「ただ、総長御自身が、そのように思われるのであれば、今はともかく早急に医師の診察と治療を受けられるべきでしょう。応急処置が終わり次第、すぐにご案内しますので」
 半ば一方的に言い置いて、俺はまた、淡々と手当てを再開する。
「やれやれ。君は強情なうえに、随分慎重なのですね」
「申し訳ありません」
 山南さんは、俺に向かいそんな皮肉を口にされたが……俺はそれを、敢えて抑揚のない謝罪の言葉で受け流した。

 程なくして、二人と合流した俺は、浪士達の後始末を副長達にお任せして、総長を近くの医者へ連れて行った。
 処置が早く的確であったため、壊死もなく、出血も最小限で済んだと聞き、内心胸を撫で下ろす。
 が……。
 改めて傷についての医師の見立てを聞いた瞬間、そんな安堵はたちまちのうちに、胸の中から消えてしまった。
 そう……。
 その老医師が俺達に告げた見解は、俺が想定していたなかでも、最悪のものだった。

 その夜遅く、俺は医者の元から、我々が定宿にしている旅籠へと戻って来た。
 入口で番をする男に軽く一礼してから、既に勝手を熟知している宿の中へと上がり込む。
 そうして、二階の一番端まで来ると、俺は膝をついて、正面の障子戸に向かい呼び掛けた。
「副長」
「……入れ」
 返ったのは、嫌に沈痛な響きの声、だ。
「……失礼します」
 その答えに、俺はきつく奥歯を噛み締めながら、目の前の戸を横へ引いた。
 室内に身体を滑り込ませて、また一つ頭を下げる。
 そうして改めて顔を上げて……俺は刹那、目の前に広がる部屋の暗さに鋭く息を飲み込んだ。
「……」
 真夜中近くにも関わらず、部屋には一切、明かりは点いていなかった。
 周囲を仄かに照らすのは、反対側に設えられた、明かり取りの窓から射し込む月明かりだけ。
 表通りとは、真逆を向いたこの部屋には、隣の店の光さえも届かない。
 そんな中に、あの方はただ一人、息を潜めて座っていた。
 ……。
 一応、文机に向かわれてはいるものの、恐らくは何かをされていた訳ではないのだろう。
 この暗闇では、文字を読み書きすることなど、到底出来る筈もない。
 事実、暫しその背を見つめていても、副長は身動ぎ一つなさらなかった。
「……」
「……」
 今しがた、俺が声を掛けたことすら、もう失念されているのではないだろうか。
 そう疑いたくなる程に、土方さんは腕を組み、いつものように凛と背筋を伸ばしたまま、御自身の思考に深く深く沈んでいる。
「ッ……副長!」
 その姿に、何処か悲壮なものを覚え、俺はもう一度、低めた声で愛しい人に呼び掛けた。
 と、直後。
 ようやく副長がぴくりと肩を振るわせる。
 そうして彼は、彼らしくないギクシャクとした振る舞いで、戸口の俺を振り返った。
「山崎……?」
「はい」
 何処か驚いたように名を呼ばれ、心の奥が微かに軋む。
 だが、気丈な副長はすぐに表情を取り繕うと、俺に向かい少し口角を持ち上げた。
「戻ったのか。今夜はあのまま、診療所の山南さんについているかと思ってたんだぜ」
 その言葉に、俺は小さく目礼する。
「今は代わりに、島田君が付き添ってくれています。……医術に疎い自分では正確な説明が難しいので、副長への報告は俺に頼むと、先程彼からそう言われまして。報告の間だけは交代を」
「そうか」
 俺の言葉に、副長は端的に答えて頷いた。
 ……。
『それに、医療のことがわからない俺よりも、山崎君の方が、正確に怪我の説明が出来ますから』
 診療所で会った際、島田君がそう言っていたのは本当だ。
 だが彼はきっと、会う度に「副長はどうされている?」と問う俺を見兼ねて、気を利かせてくれたのだろう。
 ……勿論、俺と副長が恋仲であることなど、彼は知る筈もない。
 だがそれでも、島田君は俺がこの方に心酔していることはよく理解して、時折こんなふうに、自ら気を遣ってくれる。
 まあ、勿論そんなことは、わざわざ副長のお耳に入れるような話ではないのだが。
「で、どうだ。山南さんの容態は?」
「はい」
 だから俺は、改めて向けられたその問いに頷くと、余計な思考を頭の中から振り払い、静かにそのまま唇を解いた。
「つい先程、お休みになられました。傷の影響で、多少の発熱が見られますが、薬が効いているのでしょう。さほど苦しまれている様子はありません。医師とも話をしましたが、数日中には、京へ移ることも可能だということです」
「……」
「ですが、やはり傷自体は深刻です。刀によって、腕の筋が半ば寸断されてしまっています。上手くいけば、多少であれば動かすことも可能かもしれませんが、……恐らく刀を握ることはもう難しいかと……」
「そうか」
 と、直後。
 副長は、俺の答えに再び独り言のようにぼそりと小さく呟いた。
 そうして彼は、俺の目を避けるように、ついと視線を窓へと向ける。
――っ……!――
「…………まさか、こんなことになっちまうとはな……」
「副、長……?」
 呼び返しても、愛しい人は、何も答えようとはしない。
 土方さんは、自嘲の滲む吐息とともに一つ肩を竦めると、俺を振り返ろうともせず、また静かに次の言葉を切り出した。
「お前も知っていると思うが、あの人は、元々仙台藩の武家の生まれでな。それが、脱藩して江戸に来て、他流試合を重ねるうちに、偶然試衛館に顔を出して……。それが縁で、うちに入門することになったんだ」
「……」
「試衛館に来るまでは、それこそ北辰一刀流の千葉道場なんて、名門にいたんだぜ。俺も最初は、一体何の気まぐれかってあの人のことを疑ったさ。だがな……明日の食いぶちにも事欠く貧乏暮らしでも、教わるのが田舎臭え実戦向きの剣術でも、あの人は涼しい顔して、俺達と行動をともにしていた。それどころか、近藤さんと試衛館を盛り立てようと、俺に色々知恵を貸してくれたんだ。まるで兄貴みてえに、な」
 淡々と、切々と、昔語りは続いていく。
 俺は副長が紡がれるその言葉を、ただ黙って聞いていた。
 と、刹那。
 また副長が苦みの混じった吐息を漏らす。
「そうこうするうちに、俺はいつしか山南さんを仲間として信頼するようになっていったんだ。癖のある言動は相変わらずだったが、あの人の言葉は、いつだって適切だったしな。……それに何より、俺はあの人の剣が好きだった。俺みてえな我流の無茶な剣とは違う。ちゃんと正しい型にはまった、綺麗なあの人の太刀筋が。新八や総司は、『道場の剣術で実戦向きじゃねえ』なんて言っていたが……それでも俺は、稽古の度に、いつもいつもあの人の剣に魅せられていた。だが、それももう……」
(副長……!)
 瞬間。
 思うよりも、身体が先に動き出す。
 俺は、苦々しい独白を続ける副長に駆け寄ると、その肩を後ろから両腕できつく抱き締めた。
「ッ……!」
 腕の中で、愛しい人は小さく身体を強張らせる。
 しかし俺は、それに構わず副長の両肩に回した腕に、さらにぎゅっとありったけの力を込めた。
 ……そう。
 今は顔を見せたくないと仰るのなら、それはそれで構わない。
 だが……。
 それでも俺は、悔恨と苦しみに耐えるこの方を、このままにしては置けなかった。
(副長、貴方は……)
 誰よりも大切な人を腕の中に抱きしめながら、苦々しく心の内で吐き捨てる。
 今この方が一体何を考えているのか。
 それは決して想像に難くないことだ。
 どうしてろくに中を確かめないまま、あの場に少人数で踏み込んだのか。
 何故、狭い商家の中での戦いであることを、もっと考慮しなかったのか。
 恐らく副長は、そんなことを考えて、御自身を責めておられるに違いない。
(副長……!!)
 今回の件が、この方だけの責任でないことは誰が見ても明白だ。
 俺達は誰も、あの場での自分達の優勢を疑ってはいなかった。
 油断や慢心があったと言うなら、それは皆同じこと。
 そしてそれは、斬り合いの場で山南さんを助けることが出来なかったことについても同じだろう。
 いや、むしろ最も近くにいたのだから、その咎を一番に受けるべきは俺の筈だ。
 しかし……。
 しかし人一倍責任感の強いこの方は、絶対にそのことで俺を責めようとはなさらない。
 俺がこの場で自ら謝罪を口にしても、副長はきっと苦笑しながら「お前のせいじゃねえよ」と俺に告げるだろう。
 いや……むしろ副長は、俺の機転で山南さんが命を落とさずに済んだのだと、俺に感謝さえするかもしれない。
 そうして、起きた事の責任を総て自らで引き受けて、この人はまた御自分を追い詰める。
「っ……!!」
(副長……違う!これは決して、貴方のせいではありません!!)
 俺がそう口にしたところで、土方さんの心から自責の念が消えないことなどわかっている。
 だから俺は、そう言う代わりに、俺は強く、愛しい人を抱き締める。
「……」
 副長は俺に何も言わなかったが、その反面、俺の手を振り解こうともなさらなかった。
 その事実に、やるせなさや歯痒さと同時に、少しばかり安堵を覚える自分がいる。
 ……。
 今の自分に、他に何も出来ないことは、正直悔しくて堪らない。
 だが……せめて俺の存在が、この腕や温もりが、土方さんを少しでも癒すことが出来るなら。
 そんなことを考えながら、俺はそっと、紫色の衣の肩に自らの鼻筋を押し付けた。





<後書き>
崎土連作、第7話をお届けします。今回は、捏造度95%くらいの、山南さんの負傷についての話です。はっきり言いまして……あれだけの知識じゃ、好き勝手書くしかないじゃないですか!!という訳で、幹部組はお留守番らしいので、副長&総長+監察方で大坂へ……という設定を勝手に作って書いてみました。一応家茂上洛のあたりは、史実に基づいて、なんですが。個人的に斬り合いでの土方さんと、腕は劣るながらに頑張る山崎は、書いてて楽しかったです。そして最後のシーンは、前から楽しみにしていたので、ここまで来れてちょっと満足しております。それではまた来月。次は池田屋あたりです。


posted by 二月 at 22:11 | 山崎×土方連作「夢の蹟」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
web拍手 by FC2
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。