2011年06月30日

「互いの役目」 山崎×土方

山崎×土方連作第8弾です。
薄桜鬼本編1章、完全に池田屋事件の話です。
ゲームの流れを元にしていますが、千鶴ちゃんがいないところは結構好き勝手な捏造です。
当たり前ですけれど。




ご了承頂ける方のみ、本文へお進みください。










 乾いた土を踏み締めて、俺達は一定の歩調で足を進める。
 日が暮れても、京の町は今なお暑い。
 が、今はそんなことに構っている暇はねえ。
 誰一人無駄口くぉ叩くこともなく、俺が率いる新選組本隊は、目的地の四国屋を目指し、ただ淡々と歩いていた。
 ……。
 何気なく目を向けりゃ、灯が燈った商店の軒先からは、何事かと訝しがるような視線が幾つも注がれている。
 そこに宿る感情は、畏怖や嫌悪や猜疑や不安。
 そいつは決して、心地好い目じゃなかったが……。
 今の俺には、かえってそれで都合が良かった。
 そうだ。
 今夜の件で最初に動いたのが誰なのか。
 少なくとも町の連中はこれでわかったことだろう。
 なら後は、辿り着いた目的地で、俺達が堂々と胸を張れるだけの手柄を立てるだけだ。
 ……。
 ふと、思いついて、俺は今度は後方へと目を向ける。
 すると、察しのいい幹部二人……斎藤一と原田左之助は、すぐに気付いて、それぞれ小さく頷いた。
(ったく、頼もしいぜ)
 そんな奴らに、俺は応えて僅かに口角を持ち上げる。
 どうやらこいつらも、相当気合いが入っているらしい。
 その様子に、俺はふとそんなことを考える。
 もちろんこの二人は、総司のように特別好戦的って訳じゃねえ。
 だが、今夜は恐らく、俺達が今まで経験したことのねえ、でかい捕物になる筈だ。
 今から血湧き肉躍るのも、無理はねえ話だろう。

 今回のきっかけを作った男、長州藩士の古高俊太郎が、屯所に連行されて来たのは、昨日のことだった。
 奴は当初、潜伏先の桝屋から大量の武器や書簡が押収されても、頑なにだんまりを貫いていた。
 が、喋る気がねえなら、こっちはその気にさせるまでだ。
 長時間、俺自らが死なねえ程度に痛めつけると、強情過ぎた古高もついに観念して口を割った。
 長州の連中は、風の強い日を選んで京都御所に火を放ち、混乱に乗じて中川宮朝彦親王の奪取を画策していると。
 まったく大胆な上に洒落にならねえ計画だ。
 京の治安を任された俺達が、そんな暴挙をむざむざ見逃せる筈がねえ。
 俺達は直ちに上役である京都守護職や所司代へと伝令を走らせた。
 が、役人ってのは、どうも腰が重いらしい。
 長州勢が古高奪還の密談のため、池田屋か四国屋のいずれかに集まっていると知らせても、奴らは一向に動く気配を見せなかった。
 そうこうするうちに、日は暮れ、自体はさらに悪化していく。
 そこでついに、俺と近藤さんは腹を括った。
『やむを得んな。あの方々の助力を得られなかったことは残念だが、今夜を逃せば奴らの計画が実行されてしまうかもしれんのだ。ここは、我々だけで動くとしよう』
 苦虫を噛み潰しながら、近藤さんがまず口火を開く。
 その声に、俺はすかさず頷いた。
『ああ、そうだな。なら、とっとと行って、連中を蹴散らしちまおうぜ』
 近藤さんは、お偉方の腰を上げられなかったのが、甚だ不本意な様子だったが、俺は正直そうでもなかった。
 やる気がねえ木偶の坊どもに、わざわざ戦ってもらう必要はねえ。
 たかだか数十人の長州藩士にびびるような連中は、はっきり言っているだけ邪魔だ。
 内心そう考えていたからだ。
 無論、この急な出撃だ。
 俺達の準備も決して万全だとは言えねえ。
 怪我の癒えない山南さんは当然屯所待機組。
 それ以外にも、連日の暑さにやられて、寝込む隊士が続出している。
 だが俺は、そんなことは大した問題だとは思わなかった。
 そうだ。
 新選組には、この程度の数的不利に怯むような奴はいねえ。
 少なくとも、俺はそう思っている。
 勿論、役人どもが来てくれなきゃ、この出撃が正当なもんと認められねえって弊害があるのは、俺だって承知の上だ。
 だから、後々はあの連中にも、現場へ来て貰う必要がある。
 が、そいつはあくまでも「来るだけ」だ。
 御公儀が京の守護を正式に認めた輩だろうが、絶対に俺達の邪魔はさせねえ。
 まして、下のもんの手柄を横取りしようってなら、論外だ。
「……!」
 この戦いの意味や重みを噛み締めて、俺は一人、唇を引き結ぶ。
 今、俺が率いる本隊は合計23名。
 対して、近藤さん率いる別動隊は10名ちょうどだ。
 しかし、万一にも不測の事態がねえように、向こうには総司、新八、平助といった幹部連中を配してある。
 そうだとしても、人数が多いこっちが当たりであるのに、越したことはねえんだが。
 そんなことを考えながら、ある角に差し掛かった時のことだ。
「副長」
「ん?」
 潜めた声で短く呼ばれ、俺は視線を小さく擡げる。
 すると……一体いつからそこにいたのか。
 しんがりにいた筈の斎藤が、いつの間にか俺のすぐ後ろまで近付いていた。
「……」
 相変わらず、感情を読みづらい深い色の双眸は、真正面から俺を静かに見上げて来る。
「どうした、斎藤」
 改めてそう問うと、寡黙な男は神妙な様子で一つ小さく顎を引いた。
「先程我々が通った直後に、何やら不穏な視線を感じました」
「視線、だと?」
 端的に問い返すと、細い顎がまた縦に揺れる。
「はい。気配から、大した相手ではないと判断しましたが。我々の動向を探る者が、いるのやもしれません」
 そうして奴は、淡々と思うところを口にした。
「……まあ、その可能性はあるだろうな」
 その言葉に、俺は表情を引き締め、顎を引いた。
 仲間の古高を拘束している俺達のことを、長州の奴らが遠巻きに探っていたとしても、何も不思議はねえだろう。
 いや、実際逆の立場の俺達も、ここ数日山崎や島田が長州方の動向を探っていたんだ。
 あいつらがそんな動きを見せねえ方がむしろおかしい。
 だが……今の斎藤の話が事実なら、俺達が二手に分かれて屯所を出立したことも、ある程度長州側に掴まれているってことになる。
(こりゃ、腹を据えて掛からねえといけねえな)
 そんなことを呟いて、俺はまた唇を引き結ぶ。
 と、その時だ。
「ッ……マジか?おい土方さん!あれ、千鶴じゃねえか?」
 刹那。
 報告の真偽を確かめるように後方を伺っていた左之助が、素っ頓狂にそんな言葉を口にした。
「何?」
 意外過ぎるその名前に、釣られて俺と斎藤も、二人同時に振り返る。
 そうして直後、俺は、露骨に苦虫を噛み潰した。
 ……。
 原田の言葉は確かだった。
 もう辺りはすっかり日が落ちちまっているが……俺達皆が見間違える筈はねえ。
 あの着物と背格好はどう見ても千鶴のもんだ。
 奴は、酷く慌てた様子で、一目散にこっちへ向かって駆けて来る。
 今夜のあいつは、屯所で山南さんの監視下に置かれていた筈だったんだが。
 どうやら何か、急な動きがあったらしい。
「くそ!!ったく、次から次へと」
 俺は低く毒づくと、そのまま脇目も振らずに走る千鶴の真正面に立ち塞がった。
「っ……!」
 どうやら本当に、焦るあまり周囲が見えていなかったようだ。
 刹那、急に行く手を遮られ、驚いた千鶴が俺の顔を振り仰ぐ。
「ッ?!」
「お前、こんなところで何してやがる」
「………あっ……!」
 端的に低く問うと、乱れた呼吸の合間から、意味のねえ細い声が零れていく。
 すぐ近くに来て、ようやく相手を誰かはっきり理解したらしい。
 千鶴はそこで足と止めると、零れ落ちそうな程、鳶色の目を見開いた。
 だが、それもほんの一瞬のことだ。
 すぐに奴は、安堵と緊張がごちゃ混ぜになったような顔をして、俺に一つ顎を引く。
「……本命は、池田屋!」
 そしてまた、苦しげな呼気の合間に零れた声。
 だが、俺達にはそれでもう充分だった。
 今の言葉で、俺達が屯所を出た後何があったか、千鶴がどうしてここにいるのか、探るのは簡単だ。
 敵の所在が池田屋だと判明し、留守を任された山南さんが、それを俺達に伝える伝令役として、千鶴をここまで走らせた。
 要はそういうことだろう。
 案の定、確かめるように聞いてみりゃ、千鶴は俺にこくこくと頷いた。
 そんな彼女の功労に、原田が感嘆の声を上げる。
「それにしても、よく俺らと合流出来たな。京の町には全然詳しくないんだろ?」
 奴は少し眦を下げると、労うように彼女に向かってそう尋ねた。
 すると千鶴は、左之助の言葉に不意にはっと息を詰めて、また懸命に唇を解く。
「山崎、さんが……」
 乱れた息の合間から、たった一言、その名前だけが俺達に告げられる。
 ――……ッ!?――
 今度は俺が息を飲む番だった。
(山崎……?)
 その名前を呟けば、胸の奥底から、我知らず苦いもんが湧き上がる。
 さっき斎藤が感じたという気配の主。
 伝令の足止めを狙ったその誰かと、あいつは今一人で対峙しているんだろう。
 その事実を考えりゃ、どうしても胸が騒ぐのは止められねえ。
 が……。
 それでも俺は、半ば強引に不安や焦燥を胸の中から追い払った。
 ……そうだ。
 俺達には、互いにやるべきことがある。
 山崎は今、自分に課せられた役目を忠実に果たそうとしている筈だ。
 そんな時、俺が後ろを省みちまったりしたら、あの生真面目は、喜ぶどころかかえって俺に眉を吊り上げるに違いねえ。
『この大切な隊務中に、何をしておられるのですか?』
 そう、きっとそんなふうに……。
 菫の瞳で真っ直ぐ俺を睨みつけ、真っ直ぐ苦言を口にする恋人の顔は、呆れるくらい簡単に脳裏に描ける。
(そうだな、山崎……?)
 だから俺は、一つ小さく嘆息すると、傍らにいる二人の男に改めて目を向けた。
「原田、斎藤。お前達は隊士を率いて池田屋へ迎え。俺は余所で別件を処理しておく」
「あいよ」
「御意」
 途端、連中からは、それぞれに「らしい」返事が飛んでくる。
 そいつを聞いて、俺は今度は千鶴の方へと目を移した。
「……?」
「悪いがお前には、斎藤達と池田屋へ向かってもらう。時間がねえうえ、今は屯所までお前を送る人手も惜しいと来てるからな」
「はい、わかりました!」
 俺の命令に、小柄な少女は神妙な顔でまた頷く。
「まあ心配すんなって。お前はちゃんと俺達が守ってやるからよ」
 と、そんな千鶴の緊張を解すように、左之助が言葉を掛けてやる。
 が、直後。
「常に我々の傍にいて、下手に何かをしようなどとは考えぬことだ。それが一番こちらとしても対処しやすい」
 今度は斎藤が、冷静な目で千鶴を見据え、そんな苦言を口にした。
 ……言い方はどうあれ、これもこの男なりの気遣いってやつなんだろうが。
(ったく、こいつは……)
 千鶴は露骨に複雑そうな顔をしていたが、当の斎藤は特に弁解しようともしねえ。
「気にすんなよ、千鶴」
 原田はそんな二人に苦笑し、千鶴の肩を励ますように軽く叩いた。
「それじゃ土方さん、俺らはちょっくら行って来るぜ」
 そうして左之助は、改めて俺にそう告げる。
「ああ、頼んだぜ」
 俺はそれに、短く答えて頷いた。
 そのまま原田と斎藤は、隊士を引き連れ、元来た道を池田屋へと取って返す。
 俺はそんな奴らが見えなくなるのを、一人その場で見送った。
(……まあ、あいつらが早々に加勢出来りゃ、池田屋の方は何も問題ねえだろう。それに千鶴に危険が及ぶこともねえ筈だ)
 今の戦局がどうなっているのか、それは正直わからねえ。
 だが、伝令役の千鶴のこの頑張りで、俺達の優位は絶対になったと言っていいだろう。
 なら俺まで一緒になって、狭い旅籠の戦いに加わるのは無駄ってもんだ。
 いや……。
 近藤さんが先陣を切って刀を振るっているからこそ、俺には他にやらなきゃならねえことがある。
「さてと、それじゃ俺は、お偉方に挨拶をしに行くとするか」
 低くそう呟くと、そのまま単身踵を返す。
 そうして俺は、会津藩邸から池田屋へと続く一番でかい通りを目指し、そのまま真っ直ぐ歩き始めた。

 問題の旅籠からある程度離れた位置で、脇道から表通りへと出ると、俺は間もなく来るだろう、守護職や所司代の連中を出迎えるべく、足を止めた。
「……」
 日が暮れても、肌にまとわりつくような夏の空気は変わらねえ。
 普段なら、祇園祭を前にして、辺りが賑わう頃なんだろうが……。
 こんな茹だるような暑い日は、夜闇に閉ざされた都の通りを歩く奴も、そう多くはねえようだ。
 この分なら、多少ここで連中と揉め事を起こしても、関係ねえ町人たちを巻き込むことはねえだろう。
 そう判断して、俺は小さく顎を引く。
 そう。
 池田屋への加勢を原田と斎藤に任せた俺が、やるべきことはただ一つ。
 もうじきここへ来るだろう、役人どもの足止めを置いて他にはなかった。
(何人来ようが関係ねえ。奴らには、ここで全員俺に付き合ってもらう。漁夫の利を狙うような連中に、この喧嘩を邪魔される訳にはいかねえからな)
 そんな思考を巡らせながら、周囲の状況を改めて一瞥する。
 そしてその後、俺は不意に通りの向こうに視線を移した。
 と、その時だ。
「副長」
 今しがた、自分が出て来た裏路地から、耳に慣れた声が届く。
 淡々と……しかし何処か熱を秘めて、静かに俺の名を呼ぶ声。
 その響きに、俺は刹那、細く安堵の吐息を漏らした。
「おう、どうやらそっちは、無事に片付いたみてえだな?……山崎」
 顔を見ずに声を掛けると、応えて奴は俺の前に進み出る。
「はい、こちらは何も問題はありません。長州方の妨害は、俺が無事に退けました」
 山崎はそう言って、小さく一つ顎を引く。
 が、その矢先……俺はそんな奴の身体に沁みついた血の臭いに気がついた。
 ――ッ!――
 ……。
 見たところ、山崎自身に負傷の痕は見られねえ。
 ということは、つまりこいつは対峙した長州の刺客を、自ら斬って来たんだろう。
(山崎……っ!)
『これは……』
 前川邸で羅刹が暴れた夜のこと。
 初めて目にした凄惨な現場に、蒼白い顔で絶句していたこいつの姿を、不意にまざまざと思い出す。
 今のこいつは、本当にあの時嘔吐を堪えて遺体の処分を行っていた山崎だろうか?
 そんな疑問が頭を擡げる。
(……まったく……あれからまだ一年も経ってねえってのに、えらく変わっちまったもんだ)
 そう内心呟けば、また俺は胸の奥に苦いものを覚えずにはいられなかった。
 勿論俺だって、山崎が今もあの時のままだと、考えていた訳じゃねえ。
 元々、医者の家に生まれたこいつが、自分を武士として扱った組織と俺達幹部の為に、努力を惜しんで来なかったこともよく知っている。
 それが山崎自身の喜びであり望みなんだっていうことも、奴の視線の中心には、いつだって俺がいたんだってことも、俺は十分理解している。
 だがそれでも……。
『山崎は隊務の為なら自分の手を血で汚すことも厭わない、新選組の監察方に成長した』
 突きつけられたその事実が、俺には誇らしい半面、少しだけ苦くもあった。
(まあ、今はそんなことを言ってる場合じゃねえけどな)
 直後、そう思い直して、俺は小さく頭を振る。
 そうして俺は、奴を見据え、少し口角を持ち上げた。
「そうか。ご苦労だったな」
 労いの言葉を掛けると、山崎は少しだけ眦の力を緩めて顎を引いた。
「いえ、大したことではありません。……それよりこの様子では、雪村君は無事に伝令の役目を果たせたようですね」
 と、山崎は不意に確かめるようにそんな言葉を付け加える。
 そいつを聞いて、俺はまた僅かに笑みを深くした。
「ああ、お前が横槍から庇ってくれたおかげでな。原田と斎藤は、早速池田屋への援軍に向かわせた。あいつらが行きゃ、向こうは何も心配はねえだろ」
 俺の言葉に、生真面目な男は答えて一つはっきり頷く。
「はい、勿論です。別動隊は半数に幹部の方々を配していますし、万に一つも不覚を取ることはないでしょう。……時に副長」
「ん?」
 刹那、急に呼び掛けられ、俺は改めて釣り上がり気味の目を見遣る。
 すると山崎は、俺を真っ直ぐ見返したまま、またおもむろに口を開いた。
「俺はこの後、守護職や所司代への伝令も、総長から仰せつかっているのですが」
 ……。
 その言葉に、俺は奴の言葉の意図をはっきりと理解する。
 同時に、山南さんの指示があるにも関わらず、こいつがここに来た理由も、俺はすぐに思い至った。
 だから俺は、一つ肩を竦めた後、そのまま左右に首を振る。
「いや、お前が走る必要はねえよ。腰の重いお偉方なら、ここで俺が直々に出迎える。山崎、お前は俺の傍にいろ」
 その答えは、どうやら期待通りのものだったらしい。
 俺の声に、山崎は満足そうに頷いた。
「承知しました。俺では心許ないかもしれませんが、いざとなれば、俺が全力で副長をお守りします」
 菫の瞳で俺を真っ直ぐ見つめながら、奴はさらにそんな一言を付け加える。
 その言葉が、らしいと同時に面映ゆくて、俺はつい低く喉を震わせた。
「馬鹿野郎。当てにしてるに決まってんじゃねえか。……頼むぜ、山崎」
 まさかそんな状況にはならねえだろうと思いながらも、ついそう答えちまうのは、俺の甘さって奴だろう。
 そう。
 俺はこんな場面になると、つい山崎の望む言葉を口にせずにはいられない。
 そうしてそんな俺に対して、こいつの答えは決まっている。
「はい!お任せください」
 案の定、嬉しそうに告げられたのは、あまりにも予想通りのその返事、だ。
(ったく、こいつは……)
 勢い込んで頷く小柄な恋人に、俺はまた少し口許の笑みを深くした。
 その時だ。
 通りの向こうから、微かな足音が耳に届く。
(……!)
 真っ暗な道の遙か先から、細波のように伝わる気配。
 こいつは絶対、一人や二人のもんじゃねえ。
 俺達は、互いの顔を見遣った後、ほぼ同時に通りの奥へ目を凝らす。
 すると直後、真っ暗な暗闇にぼんやり浮かんだ提灯の明かりが目に入った。
 その数は恐らく、十や二十じゃきかねえだろう。
(さて、と……。ようやくおいでなすったか)
「山崎」
 内心小さく呟きながら、俺は傍らに立つ男を呼ぶ。
 察しいい奴は、それだけでこっちの意図を十分理解したらしい。
 山崎は、一つ小さく顎を引くと、そのままさっと踵を返し、すぐ近くの軒先に身を潜めた。
 そう。
 いくら顔を隠していたって、監察方の立場上、こいつはなるべく人前に出ない方がいい。
 そのことは、日頃の隊務の中で山崎自身もとっくに心得ているんだろう。
 小柄な背中が夜の闇に紛れると、俺は改めて、居住まいを正して通りの向こうに目を向ける。
 この間にも、厳めしい行列は着々と俺との距離を詰めて来る。
(……頃合いだな)
 奴らが店一つ分隔てた距離まで近づくと、俺はそこでおもむろに声を張り上げ、用意していた言葉をそのまま投げ掛けた。
「我ら新選組、近藤局長以下、池田屋にて御用改めの最中である。一切の手出しは無用。旅籠には、立ち入らないで貰おうか?」
 腹にぐっと力を込めて、俺はわざと高らかにそう宣言する。
 それを聞いて、先頭を勤める二人の男は、露骨に顔を見合わせた。
「な……何を勝手な!」
「貴様、加勢に馳せ参じた我々の行く手を阻むとは、どういうことだ?」
 まさかここで、他でもねえ新選組の足止めを食うとは、さすがに思ってなかったらしい。
 慌てた様子で、奴らは俺に食って掛かる。
 俺はそんな奴らを見据え、わざと静かに続く答えを口にした。
「聞こえなかったのか?一切の手出しは無用。今そうお伝えした筈だ」
「し、しかし我々は正式な要請を受けてだな」
「そうだ!最初に我々に助力を請うて来たのは、そちらではないか?」
 だが、数に任せて手柄を横取りすることしか頭にねえ連中は、そう簡単には引き下がらねえ。
(どうやら猫っ被りもここまで、だな……)
 内心そう呟くと、俺は不意に眉を吊り上げ、連中を一瞥した。
「うるせえな!!要請?はっ……笑わせんなよ。こっちの伝令が着いてから、どんだけ経ったと思ってやがる?幾ら何でも遅すぎるだろうが」
「それは……我々はこうして万全を期して、だな……」
 と、俺の豹変ぶりに、男達は気圧され、ぼそぼそと反論する。
 それを見て、俺は今度は露骨に口角を持ち上げた。
「万全?何が万全だ。そんな大所帯で来やがって。小さな旅籠にこんな何十人も入る訳がねえだろうが」
「ぐっ……!」
「生憎あんたらが遅れたおかげで、中は今斬り合いの真っ最中だぜ。真正面から戦う意志もねえんなら、いいから黙って外から見てろ。うちの連中は、隊服で敵味方を見分けるからな。誤って斬り殺されても知らねえぜ」
「っ……!」
 挑発的な俺の言葉に、奴らは当然激昂する。
 が、案の定腑抜けた役人連中は、俺一人相手にも、容易に動こうとはしなかった。
『どうする?』
『何を弱気な。相手はたった一人だぞ。このまま押し切ってしまえばいいだろうが。手向かいするなら、数に任せて斬ればいい』
『いや、待て。相手はあの土方だぞ。そんな簡単に行くものか』
「……」
 俺の目を避けながら、奴らは小声でこそこそと、そんなことを囁き合う。
(ったく、煮え切らねえ連中だぜ)
 数だけ見りゃ、多勢に無勢もいいところ。
 こうして睨み合ううちは良いが、どんな腑抜けた奴らだろうが、この数で向かって来たら、ちっとばかり厄介だと思ってたんだが……。
 この様子じゃ、その懸念さえ杞憂らしい。
 あまりの相手の不甲斐なさに、俺はむしろ苦笑を噛み殺す有様だった。
 だが……。
 仮にこいつらとこの場で斬り合いになったとしても、俺は役人どもに臆するところはまるでなかった。
 池田屋じゃ今、他の連中が命を張って、長州の奴らと斬り合いをしてるんだ。
 俺一人が、ここで怯む訳にはいかねえだろう。
 それに……。
「……」
 ふと、少しだけ視線を擡げて、傍の細い路地を見遣る。
 姿は確認出来ねえが、あいつは…山崎は今もそこにいる筈だ。
『俺では心許ないかもしれませんが、いざとなれば、俺が全力で副長をお守りします』
 あの、生真面目な男のことだ。
 さっきの自身が言った通りに、山崎はいつでも飛び出せるよう身構えながら、今この瞬間も、こっちを窺ってるに違いねえ。
 ……。
 あの釣り上がり気味の菫の瞳が、俺を真っ直ぐ見詰めている。
 そう考えただけで、胸の内側がじわりと熱くなって来る。
 ……そうだ。
 誰よりも、あいつの前に立った時、俺は「絶対退いてたまるか」って気にさせられるんだ。
 俺が誇り高くあることが、あの迷いのない信望と恋情への答えになる。
 少なくとも、俺はそう思っている。
 だから俺は、まだ小声で対応策を相談中の役人どもに、さらに不敵に口の端を持ち上げた。
「どうした?相手はこんな若造一人だ。いつまでも、こそこそ話し合いなんかしてねえで、力尽くで退かせてみろよ」
「何?」
「貴様……言わせておけば!!」
 俺の安い挑発に、ようやく何人かの連中が腰の刀に手を掛ける。
「お、おい待て。早まるな!!」
 が、他の男どもは相変わらず、及び腰もいいところだ。
 奴らはむしろ狼狽し、じりじり半歩後退する。
(こりゃ、もう少し突いても、問題はなさそうだな)
 そう判断して、俺は自分も右手を腰の刀に掛けた。
 端から見りゃ、一触即発。
 いや……これだけ人数差を鑑みりゃ、むしろ絶体絶命ってやつになるのか。
 そんなことを、他人事みてえに考えながら、俺は少し身を低くする。
 が、刹那。
「副長!」
 そんな俺達を制するように、後方から俺を呼ぶ声がした。
 同時に耳に届いた男の足取りは、鈍くはねえがやけに重い。
 体格がいい分、決して軽快とは言い難いその歩調が誰のもんか、俺はすぐに思い至る。
 案の定、振り向けば、いつもと違う隊服姿の島田魁がこっちへ向かって来るのが見えた。
「土方副長!」
 目が合うと、島田はまた俺を呼ぶ。
 その声に、俺は刀から手を放した。
「島田、終わったか」
 端的に尋ねると、奴は近くで足を止め、はっきり一つ顎を引く。
「はい、先程。まだ詳細はわかりませんが、敵に比べ、こちらの被害は軽微です。建物に残る者達は、既に投降しています。しかし、騒ぎに紛れて窓から逃亡した者がいるようですので、後は彼らの捜索が重要かと」
「そうか、ご苦労」
 その報告に、今度は俺が頷いた。
 そうしてそのまま踵を返すと、俺は後方の連中に改めて目を向ける。
「聞いた通りだ。旅籠の中を改めてえなら、俺達が立ち去った後、家捜しでも何でもやってくれ。だが、それよりも夜闇に紛れて逃げた奴らの捜索が先じゃねえのか?」
「……」
 俺の言葉に、役人どもはまた苦虫を噛み潰す。
 が、臆病を絵に描いたような連中でも、さすがに今重要なのがどちらかぐらい、判断はついたらしい。
 数瞬の思案の後、奴らは顔を見合わせて、苦々しく顎を引いた。
「……承知した。それでは我々は、これより池田屋から逃亡した浪士達の捜索を開始する」
 そう言うと、奴らは俺に恨みがましい目を向けた後、踵を返していそいそとこの場を去って行く。
 来た時の偉そうな態度に比べ、足早に退散するその様子は、笑っちまう程脆弱に見えた。
「では俺も、被害の状況を確認しに、一旦現場へ戻りますので。失礼します」
 役人どもがいなくなると、今度は島田が一礼して、連中とは逆方向へと走り出す。
(やれやれ……どうやら、これで一段落だな)
 一人その場に残った俺は、内心そう呟いて、一つ細い吐息を漏らした。
 その時だ。
「副長」
 俺が一人になるのを、ずっと待っていたんだろう。
 そこへ斜め後ろから、山崎の鋭い声が飛んで来る。
 事の顛末を見てたにしちゃ、嫌に硬いその響きにゆっくり視線を移してみると……思った通り、小柄な男は睨むように、俺をじっと見詰めていた。
「よお、山崎。どうした?」
 小さく微笑み尋ねると、奴の眉間に刻まれた皺が、また一段と深くなる。
 そうして山崎は、早足で俺のすぐ隣までやって来た。
 傍に来ると、菫の瞳は抑えきれない感情に鋭い光を放っている。
「?」
「『どうした?』ではないでしょう?副長は無茶が過ぎます!あれだけの人数に囲まれたなか、故意に相手を挑発するなど……。島田君が来てくれたから良かったものの、そうでなければ自殺行為もいいところです!!」
「山崎……」
 どうやら本気で腹を立てているらしい。
 山崎は、俺を真っ直ぐ見据えたまま、一息でそんな抗議を口にする。
(なんだ、そういうことかよ)
 だが俺は、そんな恋人の剣幕に、かえって笑みを深くした。
「なあ山崎……、まあそう言ってくれるなよ」
「しかし……っ!」
 宥めても、まだなお食い下がろうとする真面目な男に、俺は一つ肩を竦める。
 そして……。
「俺は何も心配なんざしてなかったぜ。例えあの時、島田の奴が来なくても、な」
「副長……?」
「決まってんだろ。『命に代えても俺を守る』さっきそう言ったのはお前じゃねえか。だから俺は、あんなことが出来たんだよ」
「っ?!」
「……それに、大切な奴が見てる前で、無様な真似は出来ねえよ。そんなの、男として当然のことだろう?」
 怒りを湛える釣り上がり気味の目を、面映ゆく見詰めながら、俺は奴に諭すようにそう告げる。
「……」
 山崎は、虚をつかれたような顔をして、暫く何も答えなかった。
 が、やがて。
「貴方は……」
 ついと視線を横へ逸らすと、奴は押し殺したようにたった一言そう呟く。
 ……。
 忍装束じゃ、表情は殆どわからねえが、多分こいつは相当動揺してるんだろう。
 僅かに覗いた目の縁が、少し赤らんで見えるのは気のせいか?
 その様子に、我知らず俺の鼓動が速くなる。
(山崎……)
 色白な顔をすっぽり覆った黒い布。
 その存在が、今の俺には、正直少し恨めしかった。
 が、討ち入り直後の状況で、いつまでも油を売ってる暇はねえ。
 そう判じたのは、どうやら山崎も同様らしい。
 程なくして、すっと表情を引き締めると、生真面目な男はたちまちのうちに「監察方」の落ち着きを取り戻し、また静かに俺を見上げた。
「では副長、俺は今から、逃亡者の捜索を開始します。人数的には不利ですが、我々は既に奴らの潜伏先に幾つか目星をつけています。今なら守護職や所司代に、先んじることも可能な筈です」
 さっきまでの動揺が嘘みてえに冷静な声。
 その響きに、俺は迷わず頷いた。
「ああ、頼んだぜ」
「はい!」
 俺が激励の言葉を返すと、山崎は答えて踵を返そうとする。
 が、その瞬間。
「山崎」
 俺はまた、反射的にその背に向かい、唇を解いていた。
「はい?」
 呼び止められると、まるで思っていなかったらしい。
 呼び掛けると、菫の瞳が驚きにまた僅かに揺れる。
 その目を真っ直ぐ見詰めながら、俺は曖昧に口の端を持ち上げた。
「待ってるぜ。だから……とっとと奴らを捕縛して、早く屯所へ戻って来い」
「副長……?」
 刹那、俺の言葉に山崎は大きく目を見張る。
 しかし奴は、すぐに表情を和らげると、今夜一番柔らかな瞳で、はっきりと頷いた。
「はい、必ず……」
 短くそう言い置いて、今度こそ、奴はそのまま走り出す。
 真っ黒な夜闇に消えて行くその背中を、俺は小さく微笑んだまま、一人静かに見送った。





<後書き>
崎土連作、8話目をお届けします。今回は、完全に池田屋の話です。だって……あの流れで、千鶴ちゃんが斎藤君や左之達と一緒に行ったら、後はもう2人の世界じゃないですか??……すみません。本当に妄想だらけですみません。当初は、山崎視点で考えていたのですが、諸事情により副長視点にしたところ、思いの外、土方さんが山崎を想ってくれて、書いている本人はちょっと嬉しかったです。来月は、多分二条城あたりの話になるかと。よければこれからもお付き合いください。


posted by 二月 at 22:40 | 山崎×土方連作「夢の蹟」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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