2012年04月29日

「在るべき場所」 山崎×土方

山崎×土方連作第18弾です。
今回は、山崎視点で描く日光です。
一応、土方ルートを参考にしていますが、捏造度は高いです。
大鳥さんと島田さんが登場します。




ご了承頂ける方のみ、本文へお進みください。









 覆っていた布をはがして傷口を拭い、また清潔な布を巻いていく。
 これ以上膿みが広がらぬよう、口に含んだ酒を傷に吹きかけると、副長は刹那、僅かに形の良い眉を寄せた。
「っ……申し訳ありません。痛みましたか?」
 その反応に、俺は慌てて謝罪の言葉を口にする。
 だが、俺の言葉に愛しい人は、逆に口角を持ち上げた。
「いや、大丈夫だ。大したことねえから、気にすんな」
「しかし……」
「いいんだよ。大体、こんなの毎度のことじゃねえか。この程度の痛みで手当てを渋って傷を悪化させちまったら、それこそ本末転倒だろ」
「……」
 真っ向から正論で説かれれば、それ以上の反論は出来なくなる。
 まあ、いつまでもこうしていたところで事態は何も変わらないんだ。
「わかりました。なるべく丁寧に処置しますので、痛みがあれば、遠慮なく仰ってください」
 だから俺は、改めて愛しい人にそう告げた後、怪我の治療を再開した。
「ああ、気にせずとっととやってくれ」
 副長は、そんな俺に顎を引き、さらに一言そう付け加える。
 そうして、怪我を負っても輝きを失わない深紫色の双眸は、俺が具合を確かめながら治療を施していく様を、暫くじっと見詰めていた。
 が、やがて。
 不意に土方さんは、また苦々しく眉を寄せて、一つ小さく舌打ちする。
「くそっ……」
「?」
「やっぱり治りがてんで遅えな。人間ならこれが普通なんだろうが、羅刹の身体に慣れちまうと、正直傷の回復を待つのが、面倒で仕方ねえや」
 そうして副長は、さらにきつく眉を寄せ、今度はそんなことを言う。
 ……。
 会津へ向かった新選組本隊の指揮を斎藤さん達に一任し、こんなところで静養を余儀なくされていることを、きっと歯痒く思っていらっしゃるのだろう。
 それは無論、俺にも容易に理解出来る。
 だが……。
 御心がわかるかということと、その想いを尊重して無理を許容出来るかはまた別の問題だ。
 だから俺は、淡々と治療の手を動かしながら、真正面から端正な恋人の顔を見返した。
「馬鹿を仰らないでください」
「山崎?」
「貴方の怪我は、常人ならとうに命がないものです。羅刹だからこそ、こうして無事に生き長らえ、薬を受け付けない身でも、最低限の処置だけで傷も快方へ向かっています。ですが本来、いつ容態が急変してもおかしくはないんですよ。どうか死に瀕する程の怪我を負われたのだと、少しは自覚してください」
 そうして、俺は見開かれた切れ長の瞳をじっと見据え、真っ向からそう意見する。
 と、土方さんはそんな俺に、うんざりと一つ肩を竦めた。
「わかったわかった。んなこと、今更言われるまでもねえよ」
 そして小言は聞き飽きたのか、彼は心底面倒臭そうにそんな言葉を口にする。
 俺はその反応に、反射的にさらにきつく眉を寄せた。
「…そうでしょうか?」
「何?」
「本当に重傷だという自覚がおありなら、先程のような発言は出ないでしょう。それに、何度も俺の目を盗んで、机に向かわれるような無茶もならさないと思うのですが」
「……」
 あくまでも淡々と、しかしぴしゃりとそう言い返すと、さすがに驚かれたのか、副長は目を見開いて押し黙る。
 しかしやがて、年上の恋人は不意に細く嘆息すると、また少し口の端を持ち上げた。
「何だ山崎、今日は随分言うじゃねえか」
 そうして何処か楽しげに、土方さんは俺にそんなことを言う。
 ……。
 無論、今の自分の物言いが、礼を欠いたものだという自覚はある。
 だが……。
 俺は刹那、きつく奥歯を噛み締めると、改めて愛しい人の端正な顔を、真正面からじっと見据えた。
「無礼なのは承知の上です。しかし、何度お身体を労るようお願いしても、貴方は聞き入れてくださらない。なら、わかりやすく現状を説明するしかないでしょう」
「山崎……」
「そもそも土方さんは、ご自身の治療を俺に一任してくださったのではないのですか?なら、少なくとも今の俺は、立場上、貴方の主治医も同然です。重傷を負った患者ならば、医者の言うことには、大人しく従ってください」
 そうして俺は、誰より敬愛する方に、さらにそんな苦言を呈する。
「……」
 土方さんは、そんな俺を暫くじっと見返して……。
 しかし直後、細く漏らした吐息とともに、彼は小さく顎を引いた。
「わかった。お前がいいと言うまで、今後勝手に仕事はしねえよ」
「土方さん……?」
 予想外にあっさりと引き下がられ、俺は逆に驚きの声を上げてしまう。
 すると副長は、そんなこちらの反応に、楽しげに喉を震わせた。
「何だ、その顔は。お前が言い出したことだろうが」
「は、はい。……申し訳ありません」
 そんな彼に、俺はまだ困惑しか返せない。
 と、土方さんは、俺が戸惑う様子を見て、さらに笑みを深くした。
「はは、んな心配すんなって。事情も知らねえ他の医者に、この身体を診せる訳にゃいかねえことくらい、俺にだってわかってんだよ。ならここは、お前の指示に従うより他ねえだろ。これ以上、長引かせるのは、俺だって御免だからな」
「土方さん……」
 故意に少しおどけた口調ではあったが、深紫色の双眸は、柔らかな光を湛えて、俺を真っ直ぐ見つめている。
 こういう目をされる時の土方さんは、決して偽りなど口にしない。
 これは最早、確信だ。
「っ……ありがとうございます!」
 だから俺は、口角を持ち上げると、深々と一礼した。
 そうして新たな布を手に取って、俺はまた、傷の治療を再開する。
 土方さんはそんな俺を、先程よりも優しい光を宿した目で、ただ静かに見詰めていた。
「そういや、山崎」
「はい」
「お前の怪我はどうなんだ?こんなふうに働かせちまって今更だが、まだお前だって傷は塞がっちゃいねえんだろう」
 と、やがて、副長はまた、そんな言葉を掛けて来る。
 恐らくは、俺の右手に巻かれた布を目にされてのことだろう。
 他の傷は服の下に隠せても、利き手である右手の甲を貫かれては、さすがに誤魔化しようがない。
 しかし、副長ご自身の傷の深さに比べれば、こんな怪我は些細なものだ。
 俺は、手を動かしつつ恋人の顔を一瞥すると、小さく一つ顎を引いた。
「問題ありません。さすがにまだ、重い刀を支えるのは無理ですが、日常生活を送る分には、特に支障はありませんので」
「本当だな?」
 と、俺の言葉に土方さんは、さらにそう問い返す。
「……土方さん」
 気遣わしげなその表情に、俺は答えて、また少し口角を持ち上げた。
「ご心配頂き、ありがとうございます。ですが、本当に大丈夫です。貴方の回復にも関わることですから、こんなことで、俺は嘘は吐きません」
「山崎」
「自分の手に余ると判断していたら、俺は貴方の治療自体を他の誰かに任せています。……この程度の怪我で、俺は土方さんの一番近くにいられる役目を、他人に譲りたくはありませんから」
「っ!」
 思ったことをそのまま素直に口にすると、副長は刹那、小さく息を飲む。
 だが、誰より愛しい恋人はすぐにふわりと微笑むと、ゆっくり腕を持ち上げて、俺の前髪に長い指を差し入れた。
「……そうか」
 そうして土方さんは、やけにくすぐったそうに微笑み、たった一言そう呟く。
「はい!」
 その笑顔に、胸の奥から熱いものが込み上げて、俺もまた小さく笑って頷いた。
 ……思えば、こんなふうに副長と静かな時を過ごすのは、本当に久し振りのことだ。
 昨年末に近藤局長の狙撃事件があって以降、新選組にも俺達の間にも、絶えず重苦しさと緊張が付き纏い、こんなふうに心穏やかに話しをすることは、ほぼ皆無と言って良かった。
 勿論、まだ薩長軍との戦さは終わっていないのだから、いつまでも暢気なままではいられない。
 だが……。
 それでも互いに戦場からの離脱を余儀なくされている、このほんの一時くらいは、二人で穏やかに過ごすのもいいだろう。
 少なくとも、俺はそう思っている。
 そうしてそれは、きっと目の前にいるこの方も同じなのだろう。
「……」
 改めて深紫色の双眸を見上げれば、そこには浅はかな俺を包み、許してくださる柔らかな光が溢れている。
『っくぁ、……山ざ、き……ぁっ!……山崎っ!……』
 あの冬の夜。
 俺がこの方に犯した罪は、無論消えた訳ではない。
 だが、少なくとも今土方さんは、まだ俺を必要とされている。
 俺という存在が傍に在ることを、この方は許してくださっている。
「少し冷えて来ましたね。今お茶をお持ちします」
「ああ、頼む」
 些細な言葉と温もりから、俺はその事実を痛い程に実感する。
 その事実は、俺が生きるには、充分過ぎる程の理由だ。
(土方さん……)
 美しい恋人の微笑を目にすれば、自分はもっとこの方のお役に立ちたいと願わずにはいられない。
 高揚と幸福に震える心を心地よく感じながら、俺は愛しい人に向かい、一つ小さく頷いた。

 その日の夜、俺達がいる山間の庵を、不意の来客が訪れた。
「っ?!」
 廊下の向こうから大仰に響く足音を聞き、俺は思わず顔を上げる。
 その瞬間、勢いよく障子戸が開け放たれ、そこにはよく見知った二人の男が立っていた。
 彰義隊の総大将を務める小柄な男……大鳥圭介氏と、かつての俺の同僚だった島田君だ。
 恐らくは、副長が意識を取り戻したと聞きつけて、島田君が大鳥さんをここへ案内したのだろう。
 二人は許可もないまま部屋の中へ踏み入ると、身を起こした土方さんのすぐ前までやって来た。
「……」
 当然、こちらの素性を知らぬ軍の総大将は、傍仕えの俺になど見向きもしない。
 だが島田君は、刹那、控えめにこちらを見ると、無骨な顔に少しだけ複雑そうな色を浮かべた。
 ……。
 そう言えば、宇都宮城では、人目を避けて門の手前で別れたきり、ろくに礼も言えなかったな。
 そんなことを思い起こせば、彼の視線に少しばかり、いたたまれなさを覚えてしまう。
 俺は居住まいを正す土方さんに後方から身を寄せると、羽織りを肩に掛けながら、潜めた声で呼び掛けた。
「土方さん」
「ん?」
「少しで構いません。島田君と、話をさせて頂けませんか?」
 俺がそう願い出ると、土方さんはごく僅かに目を見張る。
 しかし副長は、すぐに俺の意図を理解して、直後、小さく微笑んだ。
「そうだな。積もる話もあるだろう。ここはいいから、お前らは外へ行って来い」
 そうして土方さんは、二つ返事でそんな許可を俺にくれる。
 その言葉に、俺は深く一礼した。
「ありがとうございます。なるべく早く戻りますので。……島田君、行こう」
「は、はい」
 俺が端的に促すと、島田君は戸惑いながらも、ぎくしゃくと顎を引く。
 そうして俺達は、そのまま上役二人を残し、副長の部屋を後にした。
「あの男は、新選組の隊士なのかい?随分君や島田君と、懇意にしているようだけど」
「いや、今は正式な隊士じゃねえさ。ただ、かなり古い付き合いでな。よく気がつくし、医術にも明るいから、俺の面倒を見させてる」
「それは……何だか規律を重んじる土方君らしくない気がするな。正式な軍籍もない人間を、傍に置いているなんて」
「おいおい、いくら総大将だからって、個人の事情に口を出すのは頂けねえな。あいつは役に立つし信頼出来ると思うから、俺は傍に置いている。それでいいだろ」
 室内からは、副長と大鳥さんの話し声が漏れている。
 ……。
 御二人が何の話をされるのか。それは勿論気になるが、今はそれより、かつて相棒と呼んだ彼と、ちゃんと話をすることが先決だ。
 そう判断して、俺はただ黙々と足を進める。
 恐らくは島田君も、似たようなことを考えているのだろう。
 庭先に向かう俺の後を、大柄な彼はただ黙ってついて来た。
「……」
 正直今この瞬間も、これから何を話すべきか、俺は途方に暮れている。
 しかし、それでも俺は、島田君に自分自身の状況を、自分の口から説明しておきたいと思っていた。
 ……後ろに在る、大柄な気配が、何だか妙に懐かしい。
 京にいた頃は、それこそ毎日のように、こうして行動をともにしていた。
 彼は無骨ながら、誠実で信頼出来る人間だ。
 だから俺は、どんな重要な任務についても包み隠さず彼に話し、ともに役目に当たって来た。
 いや、それどころか、時には不甲斐ない自分の愚痴の聞き役や、相談相手になってもらったことさえある。
 そして、その信頼は今この瞬間も、決して揺らいではいない。
 だから……。
 だからまず、仲間として、俺は彼に誠意と礼を尽くしたい。
 俺が下した決断を、この同僚がどんなふうに考えるのか。
 それはその後の話だ。
 そんなことを考えながら、人気のない夜の庭の片隅で、俺はおもむろに足を止める。
 そうして改めて大柄な彼の方を振り仰ぐと、俺は小さく口の端を持ち上げた。
「島田君、元気そうだな。宇都宮では、ろくに話もしなかったから、こうして面と向かって言葉を交わすのは、京で別れて以来になるのか」
「……」
「この間は、君に来て貰えて助かった。俺一人では、到底副長をお助け出来なかったと思う。君がいてくれたおかげで、俺達は大事に至らずに済んだんだ。改めて礼を言わせてくれ。ありがとう」
「いえ、そんな……」
 真っ先に伝えるべき感謝を告げて一礼すると、島田君は、戸惑いが滲んだ声を漏らす。
 俺はそこで居住まいを正して笑みを消すと、正面から彼の黒目がちな双眸をじっと見据えた。
 そう……本題はここからだ。
「君もあの時見ただろう。今の俺は、人間じゃない。江戸へ向かう船旅の途中、俺は変若水を飲んで羅刹になった」
「……っ!」
 はっきりと、自分の身に起きた事態を口にすると、島田君は不意に小さく息を飲む。
 しかし、この程度の反応は想定済みだ。
 俺はそんな彼を真っ直ぐに見返したまま、またさらに顎を引いた。
「勘違いしないでくれ。これは決して命令や指示があったからじゃない。山南さんから、羅刹隊に入るよう、促されたのは事実だが、俺はそれには屈しなかった。だから、この道を選んだのは、あくまでも俺自身の決断だ」
「山崎君」
 気遣わしげに呼ばれた名に、俺は少し表情を綻ばせる。
「愚かだろう。まったく、我ながら、馬鹿なことをしたものだと、思われても仕方がないな。……だがな、島田君。俺は例え人ならぬ身に墜ちようとも、これからも副長のお役に立ちたかった。例え二度と新選組監察方を名乗れなくなろうとも、あの方の傍で、この身を賭して働きたかった。その時考えたのは、それだけなんだ」
「……」
「だが、人前に出られない身になったことで、結果的に君達を欺いてしまったのもまた事実だ。そのことについては、本当に申し訳なく思っている。島田君……俺は、君が俺の死を悼んでくれたのを知っている。俺が残してしまった仕事を、懸命に引き継ごうとしてくれたことも知っている。だから許して欲しいなどとは、到底口に出来ないが……せめて謝らせて欲しい。本当にすまなかった」
 言いたいことを言い終えると、俺はもう一度、かつての同僚に深々と頭を下げる。
「山崎君……」
 島田君は一言そう呟いたきり、暫らく無言で俺の方を見詰めていた。
 が、やがて。
 いかつい大きな掌が、不意に俺の右肩に触れる。
「っ……?」
 上体を戻して振り仰ぐと、目の前の彼の顔には、よく知る柔和な笑顔があった。
「……」
「そうですね。確かに宇都宮で君を見た時は驚きました。それに、斎藤さんや雪村君が君の事情を知っていたと聞かされて、悔しいというか、寂しいというか。そんな気持ちになったのも事実です」
「す、すまない」
 真っ直ぐに告げられたその言葉に、俺は反射的にまた詫びの言葉を口にする。
 と、島田君はそんな俺の反応に、小さく喉を震わせた。
「まいったな、そんなに何度も謝らないでくださいよ。俺は別に、君を責めたい訳じゃないんです」
「しかし……」
「はは、確かに君は本物の山崎君だ。早とちりする悪い癖は、相変わらず直っていませんね」
 俺がなおも反論を口にしようとすると、島田君は、珍しく冗談混じりに、そんな言葉を付け加える。
「島田君……」
 思わず再び呼び返せば、細い漆黒の双眸は、俺の姿を映したまま、ふっと柔らかな弧を描いた。
「そうですね。確かに色々複雑な思いがあるのは事実です。……でもそれ以上に、俺は今、すごく嬉しいんですよ。こうしてまた、生きて山崎君に会えたことが。君ともう一度、こんなふうに話が出来ていることが、俺は嬉しくて仕方がないんです」
「っ……島田君……!」
 瞬間。
 諭すように告げられた言葉に、今度は俺が目を見張る。
 すると島田君は、そんな俺に、はっきり一つ頷いた。
「こう言うのもおかしいのかもしれませんが……お帰りなさい、山崎君。これからは、水臭いことは言わず、俺にも協力させてください。互いの立場は異なりますが、力を合わせて、土方さんをしっかり支えていきましょう」
 そうしてかつての相棒は、俺に向かってそんな言葉を掛けてくれる。
 ……。
 俺はそんな島田君に、暫しの間、返す言葉が見つからなかった。
(島田君、君は……)
 責められ、不実を詰られる覚悟で、俺は今夜、彼に全てを打ち明けようと決めたんだ。
 それがまさか、こんな言葉を貰おうとは。
 ……。
 改めて見上げれば、島田君は俺に返事を促すように、また小さく顎を引く。
――っ!!――
「……そうだな。……よろしく頼む」
 昔から変わりない彼の穏やかな笑みに、目の奥が熱くなるのを感じながら、俺は僅かに掠れた声で、たった一言そう答えた。

 それから少し話をした後、俺は島田君とそこで別れて、単身土方さんの部屋へと向かった。
 周辺の警護を担っている兵から、大鳥さんが玄関で待っていると、島田君への言付けがあったからだ。
「ええ、もうお帰りですか?」
 本人としては、もう少し副長と話をしたかったところだろう。
 だが、自軍の総大将を、いつまでも自分の都合で待たせておく訳にもいかない。
「仕方がありませんね。近いうちに、また俺一人で、足を運ぶことにします。副長には、そう伝えてください」
 結局、最後にそう言い大柄な肩を竦めると、彼はそのまま大人しく玄関へと歩き出した。
「わかった。大丈夫だとは思うが、道中くれぐれも気をつけてくれ」
 俺は彼に一言注意を促すと、何となくその場に留まり、その背が廊下の向こうに消えるのを見送った。
 そうして一人になると、改めて彼とは逆の方向へ足を踏み出す。
 やがて目指す部屋の前に辿り着くと、俺は普段と同じように膝をつき、中へ向かって潜めた声で呼び掛けた。
「土方さん。只今戻りました。山崎です」
「ああ、入れ」
 中から返る短い返事を確かめて、俺は静かに障子戸を引く。
 と、瞬間。
 月明かりに照らされた室内の光景に、俺は思わず小さく息を飲み込んだ。
 ……。
 年上の恋人は、壁に身を預けるように腰を下ろし、唯一人、頭上に光る半円の月を見つめていた。
(土方さん……)
 本当に、なんと絵になる方だろう。
 夜の風は身体に障る。
 本来なら、早く寝床に入って頂くよう、窘めるべきところだが、愁いを帯びたその表情に、俺は一瞬目を奪われる。
 すると直後。
 押し黙った俺に気付いた副長は、ゆっくりとこちらへ視線を向けた。
「何だ、お前一人か。島田の奴は、もう帰ったのか?」
 そうして曖昧に微笑むと、土方さんはそんな言葉を掛けて来る。
 その一言で我に返り、俺は慌てて小さく一つ頷いた。
「はい、先程。今日の彼は、大鳥さんの護衛ですから、致し方ないでしょう。また後日出直すので、報告はその時にさせて頂きたいと言っていました」
「そうか」
 俺の答えに、土方さんは短く了承の意を告げる。
 そうして彼は、改めて俺を見遣り、また少し口許の笑みを深くした。
「まあ、お前らがちゃんと話が出来たなら、今日はそれでよしとするか」
「っ、土方さん……?」
 不意打ちのように付け加えられたその一言に、俺は思わず目を見張る。
 その反応に、副長は可笑しそうに低く喉を震わせた。
「おいおい、んなに驚くようなことか?鬼だ何だと言われちゃ来たが、少なくとも自分じゃ、直属だったお前らの事も気に掛けてねえ程、白状じゃねえつもりなんだがな」
 そうして土方さんは、からかい混じりにそんな言葉を口にする。
 その言葉に、俺は思わず小さく首を横に振った。
「いえ、決してそのようなことは……。むしろ俺は、今日島田君と話をさせて頂いた貴方の温情に、深く感謝しています」
 そこまで言うと、俺は改めて居住まいを正して、愛しい人を真正面からじっと見据える。
「土方さん、本日はお気遣い頂き、本当にありがとうございました。ですがそのおかげで、これからはまた二人協力して、新選組の為に働いていくことが出来ます」
「山崎」
「羅刹の俺には、どうしても行動の制限がついて回ります。しかし島田君は、今後俺が幕府軍の中でも動きやすいよう、取り計らうと約束してくれました。……見ていてください。俺はきっと、貴方と貴方の新選組の為、今まで以上の働きをしてみせます」
 そうして俺は、誰よりも愛しい人を見つめながら、はっきりとそう宣言する。
 が、刹那。
 俺の言葉を耳にして、副長の深紫色の双眸が、不意に戸惑いを湛えて揺れた。
「俺の新選組、か……」
 そうして彼は、先程と同じ愁いが滲んだ笑みを浮かべ、ついと視線を逸らしてしまう。
(土方さん……)
 どうやら、先刻の違和感は、思い過ごしではなかったようだ。
 その事実に、瞬間、胸の奥から言いようのない苦いものが湧き上がる。
「あの……」
「ん?」
「気のせいでしたら、申し訳ありません。大鳥さんと話された時に、何かあったのですか?」
 それはごく些細な変化かもしれない。
 しかし見過ごすことなど到底出来る筈もなく、俺は単刀直入にそう尋ねる。
 すると副長は、ほんの一瞬唇を引き結び……直後、深々と嘆息した。
「やれやれ、察しがいいのも考えもんだな」
「は?」
「何でもねえよ。大したことは何もねえ」
 そこまで言うと、切れ長の紫の瞳は、またゆっくりと俺の方へ向き直る。
「ただ、な。さっき大鳥さんにこう言われたんだ。兵士を手足だとすりゃ、参謀は頭脳だ。頭脳が死んだら、たとえ手足が残ってたって、戦争の遂行は出来ねえってな」
「っ……?!」
「ったく、参るぜ。お前にもう一度叱られたみてえじゃねえか。鳥羽伏見からこっち、俺は俺なりに、必死にやって来たつもりだが、結局何も進歩はしてねえっていうことかよ?はっ、これじゃ近藤さんも、俺に新選組を任せちまって、さぞ気が気じゃねえだろうな」
 ……。
 自嘲を滲ませ呟かれた後半の言葉は、俺の頭をそのまま素通りしていった。
(土方さん……!)
 副長が、先程から何故こんな顔をされていたのか。
 その理由をはっきりと理解して、堪らず俺は言葉を無くす。
 ……。
 それと同時に言いようのない切なさとやるせなさが押し寄せて、刹那、俺は衝動のまま、愛しい人の細身の身体を、後ろから抱き締めた。
「土方さん……」
 そうして小振りな耳朶のすぐ傍で、低く小さく大切な名前を口にする。
 ……。
 土方さんは何も答えず、ただされるがまま、俺に身体を預けていた。
 その反応に、さらに苦いものが込み上げて、俺はきつく奥歯を噛み締める。
「……そんなふうに、お一人で苦しまないでください」
「……」
「俺がいます。言ったでしょう。罪悪感も重責も葛藤も、俺は全てを貴方とともに背負いたい。どうか俺に、その大役を担わせて頂けませんか」
 まったく不甲斐ない。
 4年前と同じことしか口に出来ない自分自身が嫌になる。
 だがそれでも、今俺が土方さんにお伝えしたい言葉は他に存在しなかった。
 と、瞬間。
「山崎……」
 細い声で、愛しい人が俺を呼ぶ。
 それと同時に、白く長い右手の指が、そっと俺の手を包んだ。
「っ……?」
 反射的に抱き寄せる腕に力を込めても、土方さんはそれ以上は何も言わない。
 しかし俺には、それでもう充分だった。
(土方さん……)
 もう一度、胸の内で呼び掛けて、俺は自身の唇を愛しい人の肩に寄せる。
 ……。
 この方を守りたい。
 傍らに並び立つことは出来なくとも、影となって、力の限り支えたい。
 その為なら、俺はどんなことでもしてみせる。
 例えそれが、忌まわしい羅刹の力を使うことになろうとも。
 いつの日か、血に狂う日が来ることになろうとも、だ。
 そうして胸の内側で、改めて固くそう決意する。
 俺達はそのまま暫くの間、目を閉じて、互いの温もりと鼓動だけを感じていた。
 この平穏が、束の間の、薄氷のような時間であることはわかっている。
 しかしそれでも、俺は誰より愛しい人を過ごすこの瞬間に、言いようのない幸福感を噛み締めずにはいられなかった。



<後書き>
崎土連作18話をお届けします。今回は、日光です。
10話を超えたあたりから、重苦しかったり、殺伐とした話が続いていましたが、ここで一度小休止。
相変わらず、糖度が低いうちの幕末崎土ですが、今回は少しでも甘さを出せるようにしてみました。
あくまでも当社比ですので、そのあたりはご了承ください。
また、どうしても書きたかった監察方コンビのちょっといい話(笑)と、大鳥さんの発言についてのエピソードも盛り込みました。
やりたかったことが出来て、本人的には満足しています。
さて、次は会津です。当然ながら、斎藤君のターンですね。
5月末の更新を予定しておりますので、またよければお付き合いください。


posted by 二月 at 07:33 | 山崎×土方連作「夢の蹟」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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